自然という唯一無二の存在

   小6 あこまき(akomaki)  2025年11月2日

 私たちは長い間、木綿と木の中で暮らしてきた。だが、明治以降それを捨てて、新しい物へ、新しいものへと人工材料に追いかけてきた。法隆寺のヒノキの柱と新しいヒノキの柱とではどちらが強いかと聞かれたら新しいと答えるに違いない。しかし、じつは古い法隆寺のヒノキの柱の方が強いのである。木は同じ種類のものでも、産地により立地によって、材質が少しずつ違う。それは、物理的、科学的な試験によっても証明できない差であるが、市場では長い経験によってそれぞれを区別し、値段も取り扱いも違ってくる。私たちは、機械文明の恩恵の中で、工学的な考え方に信頼を置くあまり、数量的に証明できる物にのみ真理があり、それだけが正しいと信じすぎてきたきらいがあった。だが、自然が作ったものは、木のように原始的で素朴な材料であっても、コンピューターでは解明できない側面を持っている物なのである。

 火は、焚き火やストーブがある。焚き火は、メラメラと燃え上がり、キャンプの時に使うものだ。焚き火は肉や魚、マシュマロなどを焼いたりする炭火焼きをするときの必須品だ。近づいてみると木、落ち葉、炭の混ざった独特のいい匂いがする。また、耳を傾けてみると、パチパチと火の粉が燃え上がっていく音がかすかに聞こえてくる。焚き火は自然を自分の肌で感じ、温まる物である。一方で、ストーブはスイッチを押すと火が出てくる便利なものだ。石油を使って人工的に火をつけることができ、とても暖かい。だが、焚き火に比べ、ストーブは独特の木の匂いや火の粉が燃え上がる音も聞こえない。焚き火にはストーブにはない独特の良さがあるのである。

 母はよく顆粒出汁と鰹節からとった出汁の話をする。顆粒出汁は鰹や昆布を混ぜて粒状にした出汁だ。顆粒出汁はお味噌汁に入れると一瞬で味付けできる便利なものだ。母は仕事で帰りが遅くなる時によく使っている。しかし、顆粒出汁はカツオや昆布から取っているぶん塩分もかなり入っている。毎日顆粒出汁をかなりの量を使っていると健康に悪いのだ。一方、鰹節からとった出汁は鰹節を削って、出汁を取るという一手間二手間かけないといけない。だが、飲むと旨みという日本独自の味を体験することができ、言い表すことのできないようなほっこりした気分になれるのだ。また、鰹節を乾燥させたものを削って出汁にしているので、塩分が少なく、体にも良いと言えるのである。

 人間にとって自然のものとは理解できない不思議な良さがあるものなのである。人工的に作られたものは手軽に使えることができたりするが、そこには何か欠点があるのだ。比べて自然というものは唯一無二のものである。自然にしかないよさ、自然だけの美しさ。それはたとえ技術が発展し、人口的に作れるようになったとしてもその魅力を最大限引き出すことは無理だと思う。だから、自然という唯一無二のものを大切にしていった方が良いと私は感じる。あなたも日頃、自然を保護する工夫をしてみてはどうだろうか。