アナログな生き方
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時計を選ぶときにはいろいろな選択肢があるが、文字盤がアナログ化デジタル化である部というものもある。デジタル時計の良いところは正確な時間が知れるところだ。逆にアナログ時計の良いところは、瞬時に大まかな時間がわかることだ。デジタル時計は部品が少なく、軽く安く作ることができ経済的だ。
私は、よりアナログに生きていけるようになりたいと考えている。なぜならば、現代社会は便利さや効率を追い求めるあまり、あらゆる場面でデジタル技術に囲まれている。情報を得るのも、記録を残すのも、誰かとつながるのも、今やほとんどが画面越しだ。確かにデジタルには多くの利点がある。だがその便利さの陰で、私たちは手で触れ、耳で聞き、体で感じるという、人間としての本来の感覚を少しずつ手放しているのではないだろうか。だからこそ私は、「アナログに生きる」という選択をしたいと思うのだ。そのためには二つの方法があるだろう。
一つ目は、アナログを悪いものだと決めつけないことだ。私たちは、アナログを不便、古い、非効率などと捉えがちだ。しかし、そもそも人間そのものがアナログ的な存在であるという事を認識している人は少ない。心臓の鼓動や呼吸などの人間の無意識な行動は、数値に還元できない不確実性を含んでいる。だからこそ、人間は完璧ではないものに心が動かされる。たとえば手書きの文字には、その人の癖や感情が滲む。紙のざらつき、インクのかすれ、そうした「不完全さ」の中にこそ温もりがあるのだ。デジタルでは再現できない味わいは、アナログには確かに存在する。
二つ目は、様々な経験を積み重ねることだ。アナログとは、単に物質的なことを指すだけではない。経験そのものがアナログなのだ。匂い、音、肌触り、味、見た目、これらは一つとして同じ瞬間がない。だからこそ、実際に体を動かし、時間をかけて感じ取ることが大切だ。虫の観察に生涯を捧げたファーブルが、草むらで這いまわるようにして、小さな命を見つめたように、私たちも五感を通して世界に向き合うことで、デジタルでは得られない深い理解にたどり着けるだろう。
確かに、現代に生きる私たちがデジタルに頼らず生活するのは難しい。仕事、学習、連絡、娯楽など、あらゆる場面でデジタルは必要不可欠な存在だ。しかしそれでも、アナログだからこその良さがあるものはたくさんある。「カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わなければならない」という名言があるように、外側の世界を見る前に、自分自身の感覚や心の曇りを見つめ直すことは大切だ。私たちがよりよく生きるには、目に見える情報だけでなく、触れること、感じること、待つことや考えることを通して、世界を身をもって確かめる必要がある。それがアナログ的な生き方なのである。