流行の中の古典
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年月日
私はこの前、国語の授業で古典を勉強した。私は、古典は単なる「昔に作られた作品」ではなく、人間の本質を深く描いている、「永遠に新しい存在」であると思う。流行作品は一時的な人気を得ても、時がたつと人々の記憶から消えてしまうことが多い。しかし、古典はその時代背景がどれほど古くても、人間が本来的に抱くaacc矛盾した感情や行動を見事に表現し続けている点が強調されている。また、古典は現代の日常とは異なる素材で書かれているからこそ、抽象的な骨組みがより鮮明に浮かび上がり、思考を整えてくれる働きがあるという。つまり、古典は時間を超えて読者と対話し続ける、普遍的価値をもつ存在であるといえるのではないだろうか。
例えば、モーツァルトの「トルコ行進曲」は250年以上前に作られた作品にもかかわらず、何十回聴いても古さを感じないのは、この曲が「時代の好み」という枠を超え、人間の感情に響く力を持っているからだと思う。また、私はギリシャ神話を読むのが好きなのだが、これも同様に、神々の物語にも欲望、嫉妬、葛藤などの私たちと変わらない感情が描かれている。ゼウスの権力争いや、パンドラの好奇心の物語などは、現代社会の私たちにも重なる部分が多い。古いはずの物語が今の自分を照らす鏡になるのだ。古典といった、古いものは人間の変わらない部分に触れられるからこそ、何度見ても新鮮なのだ。
しかし、流行しているものにも大きな価値があると思う。流行は、その時代を生きる人々の関心や気分を直接反映するものであり、多くの人が同じものに注目するからこそ社会を動かす力を持つ。たとえば、SNSで広まる音楽やファッションは、一気にインターネットを通し、国境を越えて何百万もの人々に共有される。最近では、韓国の音楽グループが世界的に人気を集め、その文化が若者の価値観や行動に大きな影響を与えている。また、流行によって新たな文化や技術が生まれ、それが次の時代の基盤になることも多い。スマートフォンの普及は当初の流行から始まったが、今では生活に欠かせない社会インフラとなっている。つまり、流行は時代のエネルギーが集まる場所であり、古典とは別の形で私たちに新しい視野や刺激を与えてくれるのだ。
古いものにも流行にもそれぞれ違った魅力があり、どちらが優れていると単純に比べられるものではない。しかし、一番大切なのは、「古さや新しさではなく、そこから何を学び取り、自分の人生にどう生かすか」という点である。古典からは人間の本質に迫る深い洞察を得られるし、流行からは時代の動きや他者の感性に触れる新鮮な刺激を受け取ることができる。どちらに偏っても視野は狭くなってしまうが、その情報の中から、自分がどのようにどのような情報を受け取るかによって、より豊かに世界を見ることができるようになる。これからも古典の中にある普遍性と、流行の持つ勢いに目を向けながら、自分自身の考えを深めていけたらいいと思う。