過度な管理
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ある研究によると、動物園で飼育されているライオンやゾウは、野生で暮らす同種の動物より平均寿命が短く、病気にもかかりやすい傾向があるという。なぜ、十分な食事と安全な環境が整っているにもかかわらず病気になるのだろうと疑問が生じた。野生の動物たちは常に危険と隣り合わせで生きていて、その中で感覚を研ぎ澄まし、環境に合わせて体を強くしている。つまり、守られた環境よりも、厳しい自然の中でこそ生命力が鍛えられ、生き残ることができるのだ。この事実は、人間にも当てはまると私は思う。過度な保護や管理のもとでは、人は本来の力を発揮できなくなる。自らの体と感覚を使って生き抜く力こそが、本当の健康や成長につながるのではないだろうか。
とはいえ、何もわからない小さな子どもをいきなり社会の中に放りだしてしまうのはとても危険だ。人はまず、守られる中で基本的な生き方や社会のルールを学ばなければならない。私は小学生のころ、帯広行きのJRに乗っている際に、保育園に通っているような幼い子を2人連れている女性が乗ってきたのを見た。その人は私の後ろの席だったのだが、女の人が席を立っている間に子供たちが騒ぎ出してしまったのだ。それを見ていたとなりの年配の女性が、「電車の中では静かにしようね」と注意していた。その瞬間、子どもたちははっとした表情になり、静かに座りなおした。子どもは守られる中で学び、自由の範囲を少しずつ広げながら、自信と判断力を育てていくのだと思う。
しかし、現代の社会では、子どもを守ろうとするあまり、自由や挑戦の機会を奪ってしまうことが少なくない。例えば、学校では危険を避けるために木登りやボール遊びが禁止され、転ばないように常に大人が目を光らせている。家庭でも、子どもの進路や交友関係まで親が細かく決めてしまう例がある。確かに安全ではあるが、これでは子どもが自分で考え、失敗から学ぶ機会を失ってしまう。実際、文部科学省の調査では、「自分で判断するのが苦手」と答える高校生が年々増えているという。過保護は私たちに安心を与えてくれる。しかし、長期的には自立の力を弱めてしまうのではないだろうか。多少の失敗を恐れず、自分の頭で選択できる環境こそ、自ら考え行動する力といえると私は思う。
保護や管理は確かに安心を与えてくれる。しかし、その中に長くいすぎると、自分で考え、選び、行動する力が育たなくなってしまう。一番大切なのは、過保護に子どもを守ることではなく、飛び立つ力を信じて待つことだ。人は失敗を通して学ぶことができる。だからこそ、子どもにも社会にも、自由の中での責任を経験させることが必要なのではないか。保護と自律は対立するものではなく、互いを支え合う関係にある。管理は安心を与えるが、選ばせる自由がなければ、自分という芯は育たない。人間が本来の強さを取り戻すには、信じて任せる勇気を持つことが何よりも大切なのだ。