協調すること
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鯨やぞうが高度な『知性』を持っていることは、たぶん間違いない事実だ。しかし、その「知性」は、科学技術を進歩させてきた人間の「知性」とは大きく違うものだ。人間の「知性」は、自分にとっての外界、大きく言えば自然をコントロールし、意のままに支配しようとする、いわば「攻撃性」の「知性」だ。そのために、人間は大量殺戮や環境破壊を起こし、地球全体を生命の危機に陥れている。これに対して鯨や像の持つ「知性」は、いわば「受容性」の知性とでも呼べるのものだ。彼らは自然をコントロールする代わりに、この自然の持つ無限に多様で複雑な営みをできるだけ繊細に理解し、それに適応して生きるためにその高度な「知性」を使っている。私たちは象や鯨の知性に学ぶべきだろう。
第一の方法は自分の能力を過信しないことだ。自分一人でやり遂げることももちろん大切だが、他の人と力を合わせることでできることの幅は大きく広がっていく。普段から周りの人の意見に積極的に耳を傾けたり、協力し合っていると、いざ自分一人の力で乗り越えるのは困難な壁にぶつかった時にも周りの人に助けてもらえるだろう。普段から周りと協調することを拒んでいる人がいざとなった時だけ周りの人からの協力を得るというのは難しいだろう。つまり、貪欲は必ず身を食うというように、謙虚な心を常に失わず、他人と手を取り合って生きていくことはとても大切である。本当に一人だけの力で生きていこうとすれば山の中でサバイバル生活になってしまう。個々人が自分の能力に見合ったできることを分担し、補いながら生きていくべきだ。
第二の方法は、攻撃や破壊といった暴力的な行為に頼らないことだ。憎しみの連鎖という言葉があったりするように、暴力は即効性のある薬ではあっても持続的なものではない。力で抑えつけても心が離れていればいつかは終わりが来る。自然に対してもそれは言える。人間も他の生物と同じように地球に生きる生物だ。つまり、環境破壊は短いスパンで見れば人類の生活を便利にしていても、いつかはそのツケが回ってくる。環境破壊は人類の母星を大きく変化させているからだ。織田信長は敵対する勢力を軍事行動によって屈服させ、排除していった。しかし結局は明智光秀によって暗殺されしまった。理由は、個人的な恨み、いつかは自分も排除されるのではという恐れ、元将軍足利義昭の陰謀など様々な説があるが、いずれにしても信長の攻撃的、排他的な性格に起因できる。一方で豊臣秀吉は軍事行動のほかに譲歩、懐柔、協調を織り交ぜて使うことで天下を取ることができた。暴力に頼る者は暴力に滅ぼされるのだ。
確かに避けては通れない争いもある。資本主義と社会主義といったその根本に矛盾があったり、自らの体の安全が脅かされたりした場合だ。しかしそれでも共存できる道を模索する努力を惜しむべきではない。紙はそれ自身は薄かったとしても42回折れば理論上は月まで届く。現実的ではないが、各国、各組織が互いに技術を持ち寄ってそれぞれの秀でている分野で能力を発揮すれば今より人類の科学は進歩するのではないか。少なくとも個人単位ではそれは現実味を帯びているだろう。