完璧とは
小6 あおやゆ(aoyayu)
2025年11月2日
私たちは長い間、木綿と木の中で暮らしてきた。だが明治以降それを捨てて、新しいものへ、新しいものへと人工材料を追いかけてきた。木は同じ種類のものでも、産地により立地によって、材質が少しずつ違う。それは、物理的、化学的な試験によっても証明できないほどの微妙な差であるが、市場では長い経験によってそれぞれを区別し、値段も取り扱いも違っている。私たちは、機械文明の恩恵の中で、工学的な考え方に頼を置くあまり、数量的に証明できるものにのみ真理があり、それだけが正しいと言じすぎてきたきらいがあった。だが、自然がつくったものは、木のように原始的で素朴な材料であっても、コンピューターでは解明できない側面をもっているのである。今の時代は、機械化されて科学が進むと人工的なものにたよるようになったけれど、自然からえられるものには科学ではまねのできない良さがある。
私の家には2つのスプーンがある。同じような形、サイズだが素材が違う。プラスチックと木だ。私は小さい頃からこのスプーンを使っているが一番お気に入りなのはプラスチックだ。小さい頃の私の目には木よりもプラスチックの方が断然綺麗だと思った。母は木材の良さを知っていたのか、ただ単にお気に入りのデザインだったのかわからないが交互に使わせたが、ツルツルとした赤いスプーンが一番好きなスプーンだった。けれど、いつからか木のスプーンのほうがなんとなく良いような気もした。いつもプラスチックのスプーンが好きだったのに木のスプーンの方がいいんじゃないかと思うようになった。プラスチックは劣化しないが年季は出てこない。木材は劣化することもあるし衝撃にも弱いが年季が出てくると何物にも変えられない、まさしく「世界に一つだけ」の味が出てくる。これが木とプラスチックの最大の違いではないだろうか。
「全て自然でないものは不完全である」。この言葉はナポレオンの言葉だ。人間社会の人工的なものや無理に作り上げたものは本来の自然さがかけているために不完全さが生じるという意味である。無理に完璧にしようとすると自然さがないから逆に不自然のなる。これは人間も同じではないだろうか。人間に完璧すぎる人はいない。誰しも何かしらの欠点を持っている。完璧なのはロボットだけだと思う。間違えや不完全なものを「人間」というのではと私はこの言葉を聞いて思った。完璧であることはいいことだけど、人間性に関して言えば完璧でなくてもいいと思う。むしろ欠点や間違え全て受け止めて愛していける人間こそが一番普通の完璧とは違う意味で人間として完璧だ。
私たち人間にとって自然のものの良さは不完全であることで成り立つ物である。人間は機械のように完璧であるのが目標ではない。人間として正しい行動やその場にあった臨機応変な対応を取れる。間違えがあったとしても機械のように人に違うと言われなくても気づいて改めることができるのが人間だと思った。私も完璧を求めず、間違えても直していけるようになりたい。「躓いたっていいじゃないか人間だもの」