公平

   高3 あきつぐ(auhika)  2025年11月4日

 公平性はとても大事な要素である。勉強においても、スポーツにおいても公平というのはとても重要である。一人だけカンニングをしてはいけないし、一人だけスタートが早くてもいけない。ただ、その公平さだけを重んじることで失われてしまうものもある。全員が同じルールだからこそ測りきれないその人の力というものもあるだろう。私自身の身近な例でいうと、受験だろう。今の受験には様々な種類がある。一般選抜の他に、指定校推薦や総合型選抜、公募制の推薦などもある。今は推薦と一般が1:1と言われるくらいに推薦の割合が増えてきている。これは自分の強みを推し出せる方式が多いからだろう。一般選抜では、正直高校1.2年生を遊んで過ごしたとしても最後の一年を死ぬ気で頑張れば合格を掴み取ることができる。しかし高校一年生から定期テストはある。その頃から真剣にテストに取り組んできた人からしたら、最後の一年だけ頑張っていいところに行かれてもなぁと思う人もいるだろう。そこで、三年間の成績を加味する指定校推薦や、学力以外の分野で戦える総合型選抜などが選ばれてきている。入試方式についてはそれぞれでバチバチになってはいるものの、お互いにメリットデメリットがあり、良いものだと私は思っている。このように、公平に全員が学力勝負をするのも良いが、それ以外の力である芸術分野や一年生からの成績の積み重ねなどで戦えるものも用意しておくべきだと思う。これまでの努力の過程を存分に見せつけられる社会にしていくべきなのではないだろうか。

 公平性にとらわれず、過程の評価もある程度加味するにはどうしていくべきだろうか。考えられる対策の一つ目としては、会社や学校において過程を重んじる評価を取り入れてみることだろうか。結果を出してこそというのは分かってはいるが、それまでに積み上げてきた努力をまるっきり無視するのも違うだろう。少しズレるかもしれないが、「宿題が終わらなかった」という結果があったとして、その人のワークにはびっしりと途中式が書かれていて、「解こうとした努力」が詰まっていたとする。公平に結果だけを見ればサボっててやらなかった人とこの人は同じ評価を下されてしまう。しかしその過程には大きな差がある。この差をしっかり認めていける教育を取り入れていくべきではないだろうか。

 二つ目の対策として公平にしなくてはという思考を少し広く持つことだろう。「公平でなくてはならない。」ではなく、「不公平でなければいい。」くらいの気持ちで物事を動かしてみてはどうだろう。何が変わったのかと思うかもしれないが、少し広く気持ちを持つことでだいぶ物の見方は変わってくると思う。先ほど述べた入試形式の話につながる部分があるだろう。完全な公平性を見るならば全員が同じ方式でなくてはならない。しかし、今の時代は多様な方式で大学へ入学することができる。これは、それぞれの方式の中で募集要項を作り、審査基準を元に合格者を出しているからだろう。それぞれの方式の中に公平性が保たれていればいい。なにも全員が公平に戦わなくとも、自分が公平に戦える土俵を選べば良いのだ。しかしこれが、『どれだけお金を払ったかな?!賄賂選抜!』のようなものが実施されてしまったら話が変わってきてしまう。あくまでも「不公平ではない」ことが重要である。

 確かに、公平を基盤として物事はある程度成り立っているし、それを無視してはならないと思う。しかし、公平性に頼りすぎていては本当に見出すべきだった価値がどこかで潰されているかもしれない。様々な角度、視点から物事を見ることで、今までは見つけられなかった物が見つかることがあるかもしれない。そんなとき公平にこだわってそれを見過ごしてしまっては勿体無い。どちらに偏るでもなく、絶妙なバランスで物事を見ていく力が必要になっていくだろう。