自然とともに生きる
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おじいさんは山に、おばあさんは川に、という描写は、まさにこのような集落の情景を表している。ここでは、集落をとりまく山麓の森林はさまざまな生活資源を引き出せる宝の山であり、そこから流れ出す川は良質な生活用水を供給する母なる川だったのだ。こうした人間の身近にあって生活のさまざまな面で利用されるような森林を、日本人は里山と呼んできた。山や川までが素朴な信仰の対象になっていたのであった。
この文章を読んで、僕は日本の人たちは昔から自然ととても近い生活をしていたのだと感じた。山や川はただの風景ではなく、生活に必要なものを与えてくれる大切な場所だったことがわかった。里山という言葉には、自然を大事にする気持ちや感謝の気持ちが込められていて、今の僕たちにも大切にすべき考えだと思った。
僕の家の近くには、大きな公園があり、その中には小さな森が残っている。遊具がある場所から少し行くだけで、急に静かになり、木のにおいや風の音がはっきり聞こえるようになる。その森を歩くと、季節ごとに景色が変わり、自然のすばらしさを身近に感じることができる。とくに木々が風でゆれている様子を見ると、僕は自然とは本当に大きくて美しいものだと実感する。しかし、最近は周りの工事が進み、公園の一部が削られたり舗装されたりして、森が少しずつ小さくなっている。前は木がたくさんあった場所がコンクリートに変わっていくのを見ると、自然は守らないとすぐになくなってしまうのだと思い、少しさびしい気持ちになった。
公園の森についてもっと知りたくて、僕は母に話を聞いてみた。でも母は、僕が生まれる前は別の地域で暮らしていたので、昔のこの公園のことはあまり知らないという。それでも今感じていることを聞いてみると、母は「前より人が増えて、公園の使われ方も変わってきている気がする」と教えてくれた。調べてみると、小さな子供の安全を考えた整備や暗くなりやすい場所の木が切られて、公園の安全を考えた工事が増えているらしい。母は「自然も大事だけど、人が安心して遊べる場所も必要だよね。」と話していて、僕はその言葉を聞いて初めて、公園の森が変わっていくのは悪いことだけではなく、地域の人の生活を考えた結果でもあるということに気づいた。さらに調べてみると、多くの公演で植え替えや樹木の病気を防ぐための整備が行われていると書かれていた。森を守るには、ただ残すだけでなく、人が手を入れて育てていくことも大切なのだと感じた。
今回、公園の森について調べてみて、僕はあらためて自然が人間にとってどれほど大切なものなのかを考えるようになった。自然の中に入ると気持ちが落ちつき、季節の変化を感じることで心が豊かになる。昔から「山川草木、皆師なり」という言葉があるように、自然は人間にたくさんのことを教えてくれる存在なのだと思う。
日本人にとって自然とは、単なる風景ではなく、生活や文化と深くつながった特別なものである。森や川に神さまが宿ると考えた人々の心には、自然への感謝と敬いがあったのだろう。僕の近くの公園の森は小さいけれど、その中にも昔の人が大切にしていた自然へのまなざしと同じものを感じることができる。だからこそ、これからは森をただ守るだけでなく、人間と自然が一緒に生きていく道を考えることが必要なのだ。「木を見て森を見ず」ということわざがあるように、一つの変化だけを見て不安になるのではなく、もっと広い視野で公園全体や地域の未来を考えながら、僕たちが自然とどうつき合うべきかを考えていきたい。そして、身近な森から学んだことをこれからの生活にも生かしていきたいと思う。