未来に急ぎすぎない

   中1 すりりんご(akimano)  2025年11月3日

 「ああすれば、こうなる」型の社会では、違った側面が現れる。日常的に使われる「ただいま現在」の意味はすなわち、「予定された未来」を指す。今後の予定があるということは、現在を拘束している。拘束された時、われわれは現在とみなす。未来の準備のために生きるのではなく、今この瞬間を大切に生きることがよいと思う。

 第一の理由は、先のことを考えても未来はどうなるかわからないからだ。私は、九月に行われた合唱コンクールでクラスの伴奏者を務めた。夏休み前、クラスでは、合唱コンクール実行委員、指揮者、伴奏者の三役を担う人を決めた。合唱コンクール実行委員は、昼休みや放課後に集合がかかったが、指揮者と伴奏者は、一回、二回ほど、集合が書かった。独自練習が基盤の役である。指揮者は、二学期初めには、課題曲と自由曲が歌えるようになることという課題が出ていた。伴奏者は、二学期初めの音楽でクラスメートが歌えるように伴奏を完璧に譜読みし、弾けるようになることという課題が出た。その課題を聞いた瞬間、私はとても不安になった。私は、練習は普通にできていても、たくさんの人の前になると緊張する。ピアノの発表会も、リハーサルの時はすらすら練習通りに弾けるのに、いざ本番となると途端に頭の中のスクラップブックに貼られている楽譜が消えてしまい、何がなんだか分からなくなってしまうのだ。そうならないために、夏休みの間ほぼ毎日楽譜と向き合った。二学期初めには、ほぼ、楽譜なしで弾けるようになっていた。二学期の始業式、指揮者と伴奏者は、放課後音楽室に集まって下さい、と夏休み前最後に集まったときにもらったプリントに書いてあったから、音楽室に行った。あいにく、その日は仲良しの友達と一緒に帰る約束をしていたが、集合の方が大切だと思ったため、約束をキャンセルした。音楽室に着くと、三年生の先輩方が、音楽室前廊下に立っていた。話を聞くと、音楽室が開いていないという事だった。三年生の一人が職員室に鍵を取りに行ったが、鍵が無く、音楽担当の先生が持っている事だろうと言われたため、担当の先生に事情を話すと、「今日は、集合はありませんよ。」と言われたのだ。猛暑の中、廊下で三十分も待ったのに、と思ったが、そのことよりも友達との約束をキャンセルしたことが心の中では、勝っていた。先のことを考えすぎると今必要な行動は何かが分からなくなってしまう。

 第二の理由は、未来のために今を犠牲にするのはむなしいからだ。今を犠牲にするとは、本来自分がやりたいことがやれないことと同じだ。そんな人たちには、ストレスがた待っている。10代の女性のストレス解消法(コニカ1996年)によると、一位カラオケ16.4%、二位食べる7.5%、三位長電話5.6%、10代の男性のストレス解消法(同じく、コニカ1996年)によると、一位カラオケ15.3%、二位テレビゲーム13.3%、三位ビデオ鑑賞8.0%という数値が出ている。10代は子供の未成年の人の年齢である。子供は、自由にのびのびと育っていくものである。本来、子供にはストレスという塊はうまれない。しかし、未来の予定に拘束されているかぎり、子供にもストレスはうまれるのだ。

 確かに、予定を立てることは大切だ。しかし、私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値があるという名言があるように、今を犠牲にするまで、未来に急ぐ必要はない。急ぐことで自分を苦しめることになる。子供にあるストレスの塊がなくなることを願うばかりである。