模倣することについて
高2 とやさく(toyasaku)
2025年11月2日
日本は昔から外国から伝わった最新技術を驚異的な速さで身につける能力を持っているが、欧米から「もの真似上手」と批判を浴び続けたため、誇りを持っていない。しかし、かつての日本人は「習うよりは慣れよ」や「守破離」という言葉があった通り、真似をすることに対してコンプレックスを抱いていなかった。大切なことは、時代的発展段階を織り込んで考えることであるため、日本人が過度のコンプレックスを抱く必要はない。私も、模倣にコンプレックスを持つ必要はないと考える。模倣できる能力を積極的に身につけ、活かしていきたい。
第一の方法としては、よい手本を探すことだ。私が武道であるなぎなたを始めて間もない頃、右も左もわからないことばかりであった。そのとき、先生は「見て盗め」や「学ぶのではなく、真似ぶようにしなさい」と口酸っぱく言っていた。私は、まず先生や最高学年の先輩の動きをよく観察し、自分の動きと異なる箇所を見つけては自分の動きを修正することを繰り返し、少しずつなぎなたが上達していくような感覚を掴むことができた。部活の中で最高学年となった今でも、なぎなたの外部練習に参加した時には上手い人を探し、よく観察するようにしている。模倣するためには、教えてもらおうと受け身にならずに、積極的に情報を吸収しようとする姿勢が必要である。
第二の方法としては、幼いころから模倣する機会を増やすことだ。幼稚園で工作をするとなっても、ただの紙とはさみを渡されても、園児は何もできないだろう。先生が完成品をいくつか見せることで園児は、それを真似て学習することができ、そこから応用して自分だけの作品を作ることができる。創造するには、最初に真似をして基礎的な技術を取得することが必要である。画家のピカソは、キュビズムという独自の表現方法で作品を作り、教科書に載るほど有名である。しかしそれは、幼いころから画家である父を真似て絵を描き、絵画の基礎を身につけたからこそ描ける作品なのだと考える。よって、幼児のときから真似をする力を伸ばすことは創造力を身につけるためにも大切なことである。
確かに、模倣するばかりでは独自性を高めたり自分自身の才能を光らせたりすることは難しいかもしれない。しかし、「才能とは自分自身を信ずる能力である」という名言があるように、真似することで身につけた技術から自信を持つことも一種の才能である。したがって、積極的に模倣し、それを人生に活かすことを意識して過ごしていきたいと私は考える。