物心の付いた

   高2 とやさく(toyasaku)  2025年10月3日

 物事に興味を持ち、それを研究しようとするとき、まずは形態などの減少論的側面を着目し、特徴を見つけようとする。しかしそれは博物学にすぎないため、実物や現象の奥に潜む原理を追求することが必要である。私も、物事の表面的な現象にとらわれずに、その背後にある原理や原則を考えるような生き方をしたい。

 その方法は二つある。第一に、事象をそのまま受け入れて終わるのではなく、それに対して疑問を抱くことである。なぜなら、問いを立てることで原理や原則などの物事の本質が見えるからだ。私は、物理が苦手であり、試験で赤点を取ってしまったことがある。いつも通りの私ならば、悪い点数だったとしても採点済みの答案用紙を受け取ってテスト返却は終わるのだが、単位が足りずに学校を卒業できなくなっては困るため、なぜこれだけの間違いをしてしまったか考えることにした。試験問題の解き直しや今までの学習習慣の見直しを行ったことで、私は問題の演習量が足りず、物理の問題を解く経験値が少ない状態だったから低い点を取ってしまったことがわかった。この原因から、物理を勉強するときは一人で問題を解けるようになるという目標を立てて、試験の対策を行った。劇的な成長はまだ感じられないが、物理の問題を解くにあたっての手ごたえは最近感じられるようになった。

 また、自分の頭で考えて学ぶ方法を中心に学校は授業を進める必要がある。理由として、暗記と異なり、考えることは根本的な理解に繋がるからだ。公式を丸暗記させたり単純に正解か不正解かで学習させたりするのではなく、問いを立てることや疑問に思ったことを自分自身の力で調べる方が成長できると思う。相対性理論を唱えたアインシュタインは、学生の時から暗記が苦手であり、考えることが好きで数学や物理がとても得意であった。暗記が必要な語学が弱点で、大学に進級するにあたって困難壁にぶつかってしまったこともあったが、彼は考え抜くことを続けて研究してきたため、現代の科学に通じる理論を残している。

 確かに、とある事象についてあれこれと考える前に、まず物事を素直に受け入れることは大切である。しかし、「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである。」という言葉があるように、原理や原則がわかることである事象について良い点を見つけることができる。したがって、表面的な現象にとらわれず、その物事の背後にある本質について考えるようにしていきたいと私は考える。