漠然とした未来、確かな今

   中1 ジュンノスケ(akasiyu)  2025年10月3日

未来とはどうなるかわからない「ああすればこうなる」の型に囲まれていない漠然とした時間である。しかし、現代ではそのような時間は急速に減っている。

現在とは何か。それは、予定された未来のことである。手帳に書き込まれた予定ということである。どんなに遠い予定でも結局今を拘束する。そうして拘束された時を僕らは現在と呼ぶのである。

では未来とは何か。それは先にも述べたように「ああすればこうなる」の型に囲まれていない漠然とした時間である。自分がどの段階でどれくらい年を取り、感覚が鈍っていつ死ぬのかといった人生の生老病死を隠して排除してしまう。そのため、意識がすべてになって時間が現在化して行くのである。これは「モモ」のお話と大して変わらないのではないだろうか。予定という灰色の男たちが、漠然とした定まらない未来のみを財産とする子供たちの真の未来を惜しみなく奪ってゆくのである。

僕たちは何のために生きているのか。それは今を生きるため。未来の準備のために生きるのではない。だから僕はこの文章を読んで、未来よりも今この瞬間を大切にするべきだと思った。

一つ目の理由は、未来がよくなるように準備をしても結局未来はどうなるか分からないからだ。

ぼくは、昔に中学受験塾の同じクラスの友達で山手線周遊の旅をしたことがある。山手線の駅周辺のスポットをいくつか抜き出して楽しむというものだ。その時に原宿に行った。当時は男子二人の女子四人だった。な ので女子たちのテンションが上がってしまい、クレープを食べるだけで20分くらいかと思ったのに1時間もかかってしまったのであるそのため後で行こうと思っていた東京駅は断念することにした。どんなに綿密な計画を立てても計画が崩れることはある。だからこそ窮屈な予定を立てずに、ゆとりを持った、崩れても対応できる予定を立てるべきだと思った。

二つ目の理由は、今を生きるために生まれたのに、今を犠牲にして未来を創ろうとするのはむなしいからだ。

未来は「未だに来ていない」ということ。だから今をよくするために、未来を変えようと努力するのならまだしも、未来のために努力するのは本末転倒なのだ。

いまだに来ていないこの先どうなるかわからない未来に細かい予定を立てるのは捕らぬ狸の皮算用である。自然災害などの計画崩れが起きることはほとんどないが、災害が起きない保証はない。先にも述べたが詰め込みすぎない臨機応変に対応できる計画を立てて、崩れた時の対処をしっかりこなせるようにしてほしい。そう感じた今日この頃だった。

確かに、予定を立てずに行動するとグダグダなイベントになってつまらなくなってしまう。しかし、「私たちの人生は私たちが費やしただけの価値がある」という名言もあるように、

どうなるかわからない未来に価値を作るのか、決まってどうなっても大丈夫な今に価値を作るのか。リスクとリターンを考えるとぼくは、今に価値を作る方が圧倒的に良いのではないかと思う。

だから僕は、先のことにとらわれすぎず今を大切にしながら生活していきたい。皆さんにも今を大切にする生活を始めませんか?