知性を自然と共生するために使う

   高1 ヨーヨ(waoho)  2025年11月3日

 鯨や象、タコなど人間以外の生物は、人間とは異なる独自の「知性」を備えている。知性とは単一の尺度で測れるものではなく、環境や身体の条件によって多様な形に進化してきた能力である。人間中心の価値観だけで他の生物を評価するのは不十分で、知性の多様性そのものを認める視点が求められる。私たちは、もっと知性を学ぶべきだ。

 そのための方法として第一に、知性を攻撃のためではなく、調和のために使うことである。そもそも、人間が知性を持った理由は、相手を支配したり論破するためではない。それは互いの違いを理解し、より良い関係を築くための手段であるはずだ。しかし、現実にはSNSでの言い争いや学校での意見対立など、知識や言葉が武器として使われることが少なくない。たとえば、僕自身もクラス討論の際、自分の意見を正しいと思い込み、相手の話を十分に聞かずに反論を重ねたことがあった。そのときは議論で勝つことが目的となり、相手を理解しようという姿勢を完全に失っていた。しかし後になって振り返ると、知識を振りかざすよりも、相手の考えを聞き、互いの理解を深める方が有意義であることに気づいた。この経験を通して、知性は攻撃の刃ではなく、調和を生む架け橋として使うべきものであると痛感した。したがって、私たちは知性を他者との争いに用いるのではなく、自らを省みながら、相手とより良い関係を築くために活かすべきである。

 第二に、人類が自然との関わりを再評価し、共生の視点を持つべきである。なぜなら、人間中心の考え方が強まると、知性の発展が自然や他の生命への配慮を後回しにし、環境破壊や生態系の崩壊を招く危険があるからである。確かに、人類は科学技術を発展させ、便利な生活を享受してきた。しかしその反面、森林伐採や河川汚染、野生動物の絶滅など、自然への負荷は計り知れない。たとえば、20世紀初頭のアマゾン熱帯雨林は約600万平方キロメートルの広さを誇ったが、伐採や開発により現在ではその約20%が失われているとされる。この数字は、人間が自らの都合だけを優先した結果であることを示している。もし人類が自然との共生を重視し、知性を持続可能な社会づくりに生かしていたなら、現在の多くの環境問題は避けられたかもしれない。この歴史的事例から、私たちは自然との関わりを軽視せず、知性を用いて共生を考える重要性を学ぶことができる。したがって、人間中心的な価値観を改め、自然との調和を前提に行動する姿勢を育むことが不可欠である。

 確かに、知性を調和のために使い、自然との共生を重視することは容易ではない。しかし、「勝つための知恵ではなく、共に生きる知恵を磨け」という言葉のように、知性を攻撃のために用いず、世界を人間だけのものとせず、多様な生命と共に生きようとする姿勢こそ、これからの社会に求められる知性のあり方である。結局のところ、他者との調和を目指す知性と自然と共に生きる知性を育むことこそ、未来をより良く導く力となるのである。