「ああすれば、こうなる」感想文

   中1 あさくに(asakuni)  2025年11月3日

 なんと神秘的なのでしょう、「ああすれば、こうなる」の作文は。全体的な内容としては現在の社会では「ああすれば、こうする」のシステムが採用されすぎているという。長文で紹介された例は、保護者がわが子の幼稚園、小学校、中学校、高校、そしてどの大学のどの学部をすべて予定を立て、子供自身が考える前に「レール」を敷いているというものだ。このような現象が最近見られるので名誉、富、力、そして知識もない子供たちにゆういつある「真の未来」を奪っているのだ。後半では物語、「モモ」の内容と紐づけて、唯一自然には「ああしたらこうなる」物がないと主張した。人間にはいつ病にかかり、いつ命立つ日が来るとは設定されていない。けれども、最近は「ああすれば、こうなる」の思想がジワジワと広がっているのだそう。

私は、未来のために生きるのではなく、今この瞬間を大切に生きることが大切だと思う。まず、今を生きることで、未知の才能や貴重な経験を発見したり、積んだりできる。もし将来のことばかりを重視して、いつも家にこもりっぱなしで受験勉強をしていたら、友達との「友情」を犠牲にしている可能性もある。二年前の夏、日本に一時帰国し、幼稚園の時の友達と会おうとしたが、その方は受験勉強で私との再会はかなわなかった。悲しいことに、それ以来私は友人に会うことはできず、最近では「会いに行こう」という願いも薄れてきたと思う。これはまさに「未来のことを重要視し、友との友情を危険にさらした」例の一つだろう。ちなみに、友人は第一志望の中学に通ったそうだが、私に「会いたい」という言葉はまだ喉を通っていない。このような状況はスポーツなどをはじめとする、言わば「習い事」もそうなのではないか。貴重な放課後の自由時間を犠牲にし、スポーツなどをして「今」の若くて柔軟な体を満喫しているのではないか。そしてその習い事を通じて新たな才能が開花または発見されるかもしれない。

二つ目の理由としてあげたいのが今の時間を大切にすべきということだ。「今」というのも人それぞれだが、未来の自分よりも現在の自分の方が若く、比較的すべての肉体的能力がより正常に動いていることが共通点だ。例えばこれを「子供」で考えてみてはどうだ。ほとんどの子供はまだ未熟で大人に比べ責任感がなく、自由気ままだ。他にも、家族と一番過ごせる期間だと思う。このような時期にひたすら他者との関係を遮断し、勉強漬けの毎日をしていたら、得られるはずのものを意図的に放棄しているかのようで目の当たりにすると切なくなる。さらに驚くべきなのが、栄光ゼミナール公式サイトによると中学受験時の生徒の勉強時間が平日に約4時間、週末に約9時間も勉強しているのだ。平日の勉強時間を取り上げますと、放課後の3-5時間を勉強に費やすと8-10時ぐらいに勉強が終了し、家に帰り始める計算となります。これほどの時間勉強していたら、結果もついてきて成果もあるが、幼少期の20年をこのように使いたいだろうか。余談だが、年齢9歳ぐらいが20年の子供期間で一番楽しいという諸説がある。このような時期でも受験勉強を始めている生徒もいると考えると、「なんと絶好のチャンスを捨てているのか」と思い悲しくなる。

自分のポテンシャルの自覚、未知の経験を積む、そして今の自分を楽しむという要素があるからこそ私は今この瞬間を大切に生きるのが大切だと思う。アメリカの作家、デール・カーネギーはこういう言葉を残した。「人生とは今日一日一日のことである」と。これは私のあげた二つ目の理由と似ていて、「今の時間を楽しむため、生きるために人生はある」と個人的に解釈した。確かに未来のために生きることも大切だ。未来の自分に近づくために計画的に進歩できるという利点がある。だが、それは今日を生き、自分のポテンシャルや才能を自覚し、理解したことで起きる第二段階であるのではないか。今を生きてから未来に目を配るのは良いが、最初から未来のことばかりを考え「今」に目を向けなかったらただの妄想に過ぎないのであろう。たくさんのルートのある人生、あなたはどう生きていきたいですか。