自然の美

   小6 たくみ(nomutaku)  2025年11月4日

  このお伽話が昔から変わることなく子供たちを引き付けてきたのは、波乱に富んだ冒険談の幕開けを、かつての日本人にとってもっともありふれた日常生活の一面を置いた、その巧みな語りだしにあるのではないだろうか。そこで思い当たるのは、この国のもともとの集落形成が、多くの場合、扇状地からはじめられてきたことだ。こうした人間の身近にあって、さまざまな面で利用されるような森林を、日本人は里山と呼んできた。

 少し前に、日光に移動教室に行った。そこは、都会とは全然違った空気感を感じられ、しかも、その時夏日だった都市部とは違い、10℃台というとても心地よい気温だった。そこで、2日目に戦場ヶ原にハイキングに行ったときに、自然の雄大さを感じられたところがある。それは、「華厳の滝」だ。戦場ヶ原自体もすごかったのだが、華厳の滝はそれ以上にすごい物だった。それは、都会では見られない、98メートルという落差から一気に落下するという勢いのある、ものすごい滝である。しかも、その周りには森林が広がっていて、ニホンカモシカも住んでいる(らしい)。でも、これだけ豊かな自然はあまり見たことがなく、想像をはるかに上回っていた。華厳の滝も、戦場ヶ原の先の中禅寺湖というところからの流れらしいが、それにしても、言葉では表現しきれない、圧巻の光景だった。それで、言葉が出ないくらい、その景色に魅了されてしまった。それはまるで、岩が落ちるみたいに勢いがあった。また、その落差というのも、足がすくむほど高いところから落ちていたので、下を見るのも怖いほどだった。

もう一つ、5年生のときに、山梨に行ったことがあって、そこでも、雄大な景色を見ることができた。そこで、泊まったホテルのすぐ近くに河口湖があるが、そこの周りが森林で囲まれていて、表と裏でいうと、裏側のあまり人が来ないようなところだった。ちなみに表側は、人がたくさん来るということで、車やビルがやたらとあった。でも、そこでも都会にはない空気感と、自然の景色というものを感じることができた。また、日光と共通して涼しかった。こちらは、日光とはほんのちょっと違って、滝ではなく湖と山が中心だった。また、ここにある山も、山梨は富士山だが、日光は男体山だった。さらに、その富士山を歩いた時には、その周りには木が茂っていて、かなりいい光景だった。でも、日光と比べてみると、日にちが少なかったせいか、自然が少なかったようにも感じられる。でも、それはまるで、山を登って、途中まで行ってすぐに帰ってしまうというように、見逃しているところが多いのかもしれない。でも、他の山に行ってみたい気持ちはやまやまだが、そしたら疲れてしまうとも思った。

 僕は、自然というものは昔から人間と共存してきた生き物がたくさんあり、守るよりも増やすということをしたほうが良いのではないかと思う。また、自然とは人間にとって、楽しむためだけではなくて、守る、そして増やすためにあるのだとも思った。でも、その取り組みが帯に短したすきに長しだとだめだとも感じる。だが、増やすのが一番だとも思った。僕は、自然を一度感じたらやめられないので、もう一度来たいといった。