里山
小6 あおやゆ(aoyayu)
2025年11月3日
日本の4分の3は山地だ。人間の身近にあって生活のさまざまな面で利用されるような森林を、日本人は里山と呼んできた。この里山の特色は、人間によってきわめて集約的に利用されながら、しかし、けっして消滅することなく、長く維持されてきたことにある。この国では長い間、農耕地からの刈り取りと里山からの摘み採りによって人びとの生活が成り立ってきたのである。こうした里山への働きかけの底流には、自然への畏敬があった。
この関係は、人間の過剰な自然開発によって崩されてきた。また、里山に住む人が減っていくことで、荒れてきている。
私は修学旅行で栃木県にある尾瀬ヶ原に行った。山道を下ったり登ったりしたハイキングのご褒美には十分すぎるほど綺麗な景観にみんなが目を奪われた。しかし、綺麗な森のハイキングコースのツキノワグマ注意という看板があった。美しい緑に景観を損ねる看板だった。最近増えているクマ被害。クマか人間どちらが悪いかはっきりとは言えないが、人間の方が悪いと私は考えた。クマの生息地に踏み込んでいった人間が一番自分勝手だ。人間のせいで生息範囲が狭くなったクマが仕方なく人間の住む場所に行って少し食べ物を失敬したって殺さなくていいじゃないか。たくさんの生物が助け合って生きていた昔と比べて今は人間が他の動物に対して勝手をしすぎだと思う。
「アンバーベア」。市街地に踏み込んだクマのこと。調べてみて私が思ったのは、踏み込んだのはクマじゃなくて人間だということだ。これではまるで人間の居住地にクマが入ってきて被害を被ったようだ。本当はクマの生息地だった場所を人間が開拓して自分の住処に変えただけなのに。自然の中で共存してきたバランスを崩した人間として私は自然を守りたいと思った。
今の私たちに必要なこととしてぴったりな言葉は「熟慮断行」だと思う。よく考えて他のことも慮った上で決めたならすぐの行動に移す。環境問題でもずっと考え続けているけれど具体的な方法を提示したりはしないから結局まだほとんど何も実行できていない。
私たち人間にとって自然を守ることは自分自身を守ることにつながる。自分たちのことだけ考えて動物や植物のことを慮らずにいることは道徳的に人間として必要なことではないだろうか。