言葉の使い道

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 私達が普段、言葉を使うときに、表される内容がまずあって、それを持って運ぶ手段として言葉があると言うふうに考えている。私たちの関心は内容にあるが、仲介役としての言葉には注意を払わない。そして、言葉が不透明になっている様な感じがする。しかし、「かっぱ」と言う詩を読むと、俄然言葉が私たちの前に塞がって、それに私達が頭をぶつけていると言う印象を持つ。使われている言葉は難しくなく、「かっぱ」と「かっぱらった」の様な似た語形が多く使われ、語形が似ているために言葉の意味まで同じではないかと考え始める。「かっぱ」はいたずら好きであると言うことから「かっぱらった」も「かっぱ」のする様なことを意味するのでないか。詩人と呼ばれる人達は、日常の経験を言葉の枠を超えて話すと言うことが必要である。今の私たちの脳は、実用性にかたよっていて、私的な言葉遣いや考え方に欠けている。詩的な言葉使いは「美的」である。このことから、詩的な言葉遣いをするのは大切だ。

 その理由としては第一に、詩的な言葉を使うことで印象を強くしてくれるからだ。印象を強くすることによって、暗記の面で活躍する。例えば、語呂合わせなどがそう言うものではないか。塾の先生や学校の先生に習った語呂合わせを紹介したいと思う。例えば、「いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府」と言う語呂合わせだ。この語呂合わせについて説明すると、源頼朝が開いた鎌倉幕府の成立年号を簡単に覚えるために作られたものだ。しかし、最近は源頼朝が守護・地頭を設置する権利を得た年で、幕府の実質的な体制が整ったとされている1185年が成立年ではないかと言う説が多く出てきている。そう考えられるようになって、「いい箱(1185年)作ろう鎌倉幕府」に語呂合わせが変わりつつある。どちらにせよ、語呂合わせのようにすることで、テストの時などにサッと面白く、思い出すことができる。他にも、「白紙(894年)に戻そう遣唐使」などと言う語呂合わせもある。この語呂合わせは、894年に遣唐使の派遣が廃止されたことを意味するもので、これも同じく、先に述べた語呂合わせと同様に、テストなどの時に面白く、思い出すことができる。この様に覚えることで、面白さと言う面から印象に残りやすく、リズムを取ることで言葉遊びの様な感覚で覚えられる。そして、最近本を読んでわかったこととして、物事は何度も反復して覚えることで長期定着につながり、記憶が頭に残ると言うことがある。これと語呂合わせを関連付けると、語呂合わせは何度も繰り返し行ってしまうので、記憶にも残りやすいと断言できる。このことから、この様な面でも詩的な言葉の考え方は使えると思った。

 そして、第二に、実用的な言葉ばかりではつまらないからだ。言葉の枠を超えて説明をすることで、前述したように印象強く頭に残ってくれるし、覚えやすい。例えば、学校の授業について考えてみよう。実際に多くの研究が、学校などで実例やことわざなのを交えながら授業をすることで、その単元の記憶の長期定着につながることを示している。他にも、具体例を用いることで、抽象的な概念が具体的になり、記憶に残りやすくなると言うことも証明されている。僕も、塾の先生がいつも自分の体験したことや、諺、故事成語などを使って説明してくれるのにはこのような理由があるからではないかと思った。実際にテストの時に、小声で語呂合わせをいいながら問題を解いた経験から言葉はいろいろな使い方ができると改めて思った。このことから、諺や、だじゃれを交えながら説明してくれた方が、面白くかつ印象に残って覚えやすいと思う。

 確かに、正確さが求められる場面では、詩的な表現はふさわしくないこともある。しかし、「人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのだ」と言う名言があるように、言葉は単に事実を伝えることにも使われるが、そもそもの存在に意味があるのだ。すなわち、詩的な言葉も日常生活の中で大切だ。