今を、

   中1 あおなち(aonati)  2025年11月3日

 あすればこうなる型の社会では、さらに違った側面が見れる。 本来の未来とは何が起こるかわからない。 あすればこうなるで、拘束されていない時間である。 それなのに、子供が育ち始めると、 母親はこの子をどの幼稚園に入れてと考え出す。 その幼稚園が終わったらどの小学校に、 その次にはどの中学校から高校へ、 どの大学のどの学部へと考える。 こうして漠然たる未来は現在社会では直ちに拘束され、 急速に失われていく。 政治家が国家百年を思わなくなった。 医師はもっぷら患者の検査に没頭する。 ただいま現在の状況を徹底的に把握し、 それに対して有効な手を打たなければならない。 あすればこうなるようにしなければならないのである。 医師も同じである。 患者は先生どうしたらいいんですかと尋ねる。 だから医師はその患者の現在の状況を徹底的に把握しようとする。 それを把握すればあすればこうなるはずだということが 分かるはずだと思うからである。 そうした状況を私が批判すると若者はこう質問する。 先生じゃあどうしたらいいんですか。 この答えがあるということはつまりあすればこうなるが成立しているということである。 若者たちがそれを意識していることがこうした質問からよく分かるのであるである。

私は未来の準備のために生きるのではなく、今、この瞬間を大切に生きることが良いと思う。

 理由一つ目は、先のことを考えても、未来はどうなるかわからないからだ。 小学校の時、サッカーチームの夏の合宿でリーダーになった。 その時は5年生の時で、まだ何も知らなかったけれど、 夏の合宿に行く前に、どんなことをやればいいかすべて予想した。当日、合宿先に着いたとたんからリーダーの仕事が始まった。荷物を置いたとたん音を立てて大げさに遊び始めたのだ。コーチは 僕に視線を向けて 注意しろと言わんばかりに こっちを向いてきた。期待されているのはわかるが、 こんなに早く仕事が始まるとは思いもしなかった。合宿に来る前に立てた予定が全てもう崩れ去った。 また計画を立てるべきか迷ったが、 もうそんな暇はないと思った。コーチの視線は鋭くなっていき、 時間がないと感じた。コーチの鋭い視線は、「リーダーシップなんて大胆でいいんだよ」とアドバイスしているようだった。少し、「教えるの下手だなぁ」とは思ったが、 鋭い視線のアドバイスを心に受けて、遊んでいる人達に注意した。すると、思った以上に注意を聞いてくれて、 大胆に物事を進ませることの良さを、 知った。

 理由二つ目は、未来のために今を犠牲にするのは難しいからだ。小学6年生のとき、僕はキャプテンになり、強く思ったことが一つあった。それは、一年間しかこのチームのみんなで過ごすことができないということだ。

 確かに予定を立てて、その予定通りにすることも大切だと思う。しかし、「私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある」という名言があるように、予定を立てて詰め詰めの人生を送るのではなく、自分で決めたその時その時を自分らしく生きることが、何よりなのだ。