自己満足は成長を止める

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 教師として生徒を導く立場にあると、知らず知らずのうちに自己反省をおこたってしまい、その結果として人間としての成長が止まってしまう危険性がある。また、現代の僧侶においても事情は同じであり、安住した環境に身を置き続けることで、自らを見つめ直す力を失いがちであると言える。つまり、人を導く者であればこそ、常に自分の行いを振り返り、どのように生きるべきかを問い直す姿勢を持ち続けなければならないのである。なぜなら、自己を省みることなく安住してしまえば、成長の契機を自ら放棄することにつながるからである。

 第一に、自己満足に陥らないことが重要である。というのも、人は自分の行動や成果に満足した瞬間に思考が停止し、次の段階へ進む意欲が薄れてしまうことが少なくないからである。確かに、努力の末に成果を得られたときの喜びは自然であり、その達成感が心を満たすのは当然である。しかし、そこで長く立ち止まってしまえば、次に向けた集中力を欠き、結果として成長の速度が鈍ってしまう。例えば、僕はサッカーの試合で練習してきたパスが連続して成功し、シュートが決まった瞬間、あまりの嬉しさに舞い上がってしまった。しかし、その余韻に浸っているうちに次のプレーへの集中が途切れ、逆転を許してしまった経験がある。この体験から、自己満足の危険性を痛感した。したがって、成果を喜ぶこと自体は大切であるものの、同時に「次はどうすべきか」を問い続ける姿勢を保ち、現状に甘んじない態度を貫くことこそ、人間の成長を持続させる鍵だといえる。

 第二に、井の中の蛙にならないよう、積極的に外部と交流する仕組みを整える必要がある。というのも、限られた環境に閉じこもっていると、自分の視野が狭まっていることに気づかないまま、成長の機会を逃してしまうからである。確かに、身近な環境で培う経験は基礎力を磨くうえで欠かせない。しかし、外部の価値観や知識に触れなければ、新しい考え方や視点を吸収することは難しい。例えば、江戸末期の福澤諭吉は国内にとどまらず、オランダやアメリカの書物に触れ、外国の文化を学ぶことで広い視野を獲得し、日本の近代化に大きく貢献した。もし彼が閉ざされた環境に安住していたなら、学問を深めるだけで終わっていたかもしれない。このように、外部との交流は自分の固定観念を打ち破り、新しい可能性を見出すうえで不可欠である。現代においても、異分野の人々との意見交換や国際的なネットワークへの参加は、自分では想像できなかった発想を得る契機となる。したがって、井の中の蛙状態を避けるためにも、外部と関わり続ける仕組みを意識的につくり、自分に刺激を与え続ける姿勢が必要である。

 確かに、自己満足を捨て、さらに外部との交流を継続することは簡単ではない。しかし、それでもなお「自己満足は一時の休息であり、挑戦こそが成長の証である」と考え、常に改善点を探し、異なる視点を受け入れようとする態度を持ち続けることが、人としての成長を支える。結局のところ、現状に甘んじず挑戦を続け、閉じた環境にとどまらず広い社会と積極的に関わる姿勢こそ、私たちに真の成長をもたらすのである。