高みの見物
小5 あきひろ(asiguru)
2025年11月4日
「あの人はYouTubeを見ているんだ──まさに高みの見物だ。」
ぼくはどんな木でもするすると登ることができる。木はぼくにとって秘密基地であり、心を落ち着けられる友達でもある。上に登ると、町の人たちの趣味や性格、普段どんなものを見ているのかまで見えてくる。特に多いのは、みんながスマホでYouTubeを楽しそうに見ている姿だ。どんな動画を見ているのかは分からないけれど、笑い声が聞こえるたび、木の上からそっと様子をのぞくのが楽しい。地上にいると見逃してしまうような、ささいな表情や仕草も観察できるのが、木登りの魅力だ。
木登りはぼくの大好きな遊びで、町では「木登り職人」と呼ばれている。家の二階からでは見えない景色が、木の上では広がり、動く人や小さな出来事まで目に入る。風が吹くと葉っぱがやさしく揺れ、木全体がぼくを包み込むような感覚になる。そのまま枝の上でうとうと眠ってしまうこともある。木の上は、ぼくにとって安心できる家のような場所であり、同時に自分自身と向き合える場所でもある。
その気持ちを詩にすると、こうなる:
「こずえかぜに 葉擦れが響く りょくいんに抱かれ 枝の上で眠る」
風と葉に包まれて安心する様子を表している。この場所にいると、時間の流れもゆっくりで、地上では味わえない自由を感じる。木の上から見下ろす町は、いつもより小さく見え、同時に世界が広がったような気持ちになる。
母の話も思い出す。ぼくたちの家では、毎年梅干しや梅ジュース、梅ジャムを手作りしている。そのための梅は、自分たちで木に登って収穫する。高い枝の先にある大きな梅を取ろうとすると、心臓がドキドキし、手が少し震えることもある。枝が揺れるたびに、冷たい風が顔に当たる。怖いけれど、勇気を出して取った梅は、味も香りも格別だ。母はいつも「苦あれば楽あり」と笑いながら言っていた。苦労して手に入れたものだからこそ、特別な価値を持つのだと、ぼくは少しずつ理解してきた。
「高みの見物」ということわざのように、木の上から見る世界は、家の二階とはまったく違う特別な景色を教えてくれる。挑戦して登ったからこそ感じられるスリルや楽しさ、そして達成感。それは、ヒヤヒヤしながら取った梅の味のように、努力や勇気の先にある喜びだ。木の上では、自分の限界に気づき、挑戦する価値や可能性の広がりを実感できる。ぼくにとって木は、静かで頼もしい友達であり、学びを与えてくれる教師でもある。
──家の二階では味わえない、ぼくだけの特別な世界。木の上から見る景色は、ぼくに挑戦することの大切さと、努力の先にある喜びを教えてくれる──まさに「高みの見物」なのだ。