心を動かす「言葉」
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年月日
言葉には潤滑油としての役目があり、生かしていくことが大切だ。この言葉の力を利用することによって自分だけでなく相手の心が開き、興味を示す糸口を作ることができるからだ。二年生の新学期に、最初の学年レクを担当する機会があった。私の網引きの提案が通り、皆が楽しめるよう賞状作りや対戦チーム決めを工夫し、学年全員の前で発表した。しかし生徒一人一人の反応はそれぞれだった。経験したことのない綱引きができることに喜ぶ生徒が多く安心したものの、中には「手が痛そう」、「やったことがない」と不安を感じる人もいた。全員が楽しめ印象に残るレクになるか心配する中、ある男子の「掛け声から考えていこう。」という綱引きを楽しもうとする前向きな一言が少し不安に思っていた友人たちの気持ちを一気に上回り、作戦会議が活発化した。たったの一言が一体感を生み出す潤滑油として働き、新しいアイディアが溢れ盛り上がる姿に言葉の持つ威力を感じたとともに、その一言を発してくれた彼に感謝したことを覚えている。同じ一言でも、もしもそれが「別に何でもいいけど」という冷たい言葉だったとしたら、全体の心が固まり、誰もが楽しむことができなかったと私は考える。潤滑油としての言葉によって私達はより多くの人と繋がることができるのだ。
一方、中身がないことも困る。「内容を伝える」という言葉のもう一つの役割を使わなければ思いが届くことなく意味がない。昔話「ごんぎつね」でも同じである。兵十のうなぎを取った償いに毎日のように食べ物を届けるきつねのごんだが、ついには火縄銃で打たれ、死んでしまう。それは、ごんの行動には兵十が理解することができる言葉が伴っていなかったからだと私は考える。人間同士でも思いや動きだけでは相手に的確に伝わらないケースがある。私の学校に多い帰国子女の中には海外滞在歴が長いため、日本語が不自由な生徒も多い。英語のクラスでは意見を出し合い積極的な様子だが、日本語でのグループ活動では身振り手振り話していても簡単に考えが伝わらないこともあり、苦労している様子をよく目にする。自分の率直な気持ちを、数多くの単語を組み合わせ短く、誰にでも分かる形で示すことができるのが発達した言葉の大きな力と言えるだろう。
このように、言葉には潤滑油としての働きと内容を伝達する働きの両方がある。しかし最も大切なことは、人間が言葉の役割を理解することである。重松清の「千羽鶴」という本に「言葉はバンソウコウだ」、「言葉はナイフだ」という一節がある。どのような言葉を発するかによって相手の人生が良い方にも悪い方にも変わってしまう。言葉は一言で深く傷づけることもあれば、一生の救いとなることもある。言葉の力は絶大であり、だからこそ使い方が大切なのだ。自分がよりよく生きていくためにも言葉の力を理解し、相手を思い円滑なコミュニケーションを取っていきたい。