言葉と経験
中2 あきかは(akikaha)
2025年12月1日
人は、経験と言葉が結びつくことで、脳機能が無意識のうちに働き、行動が起こる。例えば、スポーツでの「腰を入れる」という言葉は、実際に経験をして理解していない場合、この言葉に従って行動することはできない。逆に、「失敗するかもしれない」と思うと、「失敗」という言葉と経験とが結びついてしまうことがある。確かに、私はいろいろな人からよく、「できる、できる」と言われることがある。それを言われる場面は様々で、特に勝負事をするときが多いような気がする。そういった言葉はきっと、自分のことを応援してくれている証拠なのだといつも思う。そして、言われた通りにはできなかったとしても、その応援自体が心の中で、嬉しいこととして残り続ける。
自分を鼓舞する言葉は大切だ。私は毎年夏と冬に、テニスの大規模な大会があり、それに参加している。大規模な大会で、しかもシングルスの場合は特に緊張する。二年目に入っている今は慣れてきたが、試合が始まる前は、少し過呼吸になってしまうこともあった。もちろん、友達からの応援が心の支えの一つとはなるのだが、コートに入ってからは最終的に、自分自身でどれだけプラスな言葉を思い浮かべられるかが勝負だと私は思う。私がよく思い浮かべる言葉は、「勝てる」である。これが私にとっては最もストレートで、最も強い言葉だからだ。人それぞれ心に響く、勇気が湧く言葉は違うが、自分のことは自分で奮い立たせることが、試合の中では大切になる。試合の結果がどうであれ、「勝てる」と勇気を出し続けた先の勝敗なら、より受け入れやすく、後悔のないものになるはずだ。
しかし、目標に見合った経験も大切だ。「井の中の蛙」という、中国の古典が元になった話がある。昔、井戸の中に一匹のカエルが住んでいたのだが、そのカエルは井戸の外の世界を知らないため、自分の見ている空が全てだと思い込んでいた。ある日、井戸の外からやってきた動物たちが「外の世界はもっと広い」と伝えても、カエルは信じようとしなかったのだ。この話からは、カエルの思い込みのように、自分の考えたことに対して自信をもつことは大切だが、実際に見てみるなどの経験をしないと、正しい事実を知ることはできないという教訓が読み取れる。これはテニスでも同じで、例えば、今までやったことのない打ち方をしてみようと考えたとき、唐突に試合で挑戦しようとしたところで、経験がなければ完璧に打てることはない。それにいくら自信があったところで、上手くいくとは限らないのだ。
このように、自分に自信を与えるための言葉も、その自信に相応しい程度の経験も、どちらも必要である。どちらかが欠けていては、スムーズにいく確率は低くなる。しかし、最も大切なのは、自分を過信しないことである。大きな自信をもつことでその場は上手くいったとしても、謙虚さ、つまり冷静さがなければ、その後の分析や改善が進まなくなってしまうだろう。これは、その場しのぎに過ぎなくなってしまうということだ。「人間というものは、結果から事のよしあしを判断する」という言葉があるように、確かに人間とはそういう生き物かもしれない。だが、結果だけを大切にするのではなく、その後の成長までを見据えることが重要だ。それができて初めて、言葉と経験が価値のあるものになるのだ。