死にたくないよう

   中1 あえらて(aerate)  2025年12月1日

 人は二足歩行で手を解放し、その手に道具を扱う役割を持たせ、それを発達した大脳で制御するという方法によって、急速に強い優勢な動物になった。それが言葉とならぶ異常な加速進化のもう一つの理由であったのだが、それはともかく、強くなったために狩る立場に立つことはあっても狩られる側にまわることはほとんどなくなった。そして、最近では事故や病気で死ぬことさえ最小限に抑えられ、現にわが国などは、平均寿命において世界一の数字を誇っている。医学という蓄積可能な知識の体系によって死亡率を下げることが比較的容易であることはあきらかで、それに対して伸びた寿命の中身を充実させて幸福な老後を送ることは大変に困難らしいが、ここではそういう面には触れないでおこう。いずれにしても、われわれは狩られる感覚をすっかり忘れてしまった。だから自分より強くて速い相手に狩られることはそのまま極端な不幸であるという単純な認識にこりかたまってしまっている。自然から遠く離れて個の概念を立てすぎたために、個体の意識を離れてはすべてが無であるという考えがすべてを圧倒し、ひたすら個体にしがみつくことが至上命令となった。死はエゴの駆動装置になりさがってしまった。果たして、生きることではなくただ死なないことに、それほどの意義があるのだろうか。僕は、野生動物のように、死を意識して生きることは大切だと思う。

 第一の理由として、死にたくないからだ。なぜなら、死んでしまったら何にもない世界に行ってしまうかもしれないし、学校にいる友達と、話している時間が一番楽しいからだ。

 第二の理由として、お母さんが大変な思いをして自分を生んでくれたからだ。なぜなら、調べた結果で、年齢による違いで女性の年齢が上がるにつれて妊娠率は低下するそうだ。・20代前半:25〜30%/周期・30代後半:10〜15%/周期・40代前半:5%以下/周期のようにすごく小さい確率で生まれて来たらしいので、生きていく時間をすごく大切にして言った方がいいと思ったからだ。

 確かに死を克服しようとして人間の文化は進歩してきた。しかし、「限られた人生で、大事なことは、「何をするか」ではなく「何をしないか」である。」という名言があるように、人間は、「できる」ことを意識するよりも「できない」ことを意識したときに充実した人生を歩きはじめる。つまり、締め切りを意識するからこそ、有意義な人生を送ることができるのだ。