失敗から見える自分

   小6 あえさた(aesata)  2025年12月1日

 朝寝坊というのは、ただ「寝過ごした」というだけの出来事に見えるかもしれない。でも僕は、それ以上の意味を持っているように感じることがある。いつもならすぐに起きられるアラームの音が、その日に限って遠くにぼんやり響いて、気づけばカーテンのすき間から差し込む光がもう白くまぶしい。そんな朝は、ただの怠け心ではなく、生活リズムの乱れや疲れが静かに積み上がっていた証なのかもしれない。

 実際、僕が朝寝坊してしまう日は、たいてい前の日に寝るのが遅くなったときだ。宿題が終わらなくて寝る時間がずれたり、考えごとがあってなかなか眠れなかったり、理由はいろいろある。つまり朝寝坊は、突然起こるのではなく、前の日の無理がそのまま次の日の朝にあらわれた結果なのだ。それなのに僕は、自分を必要以上に責めてしまうことがある。でも本当に大切なのは、「どうして寝坊したのか」を落ち着いて考え、原因を見直すことではないだろうか。朝寝坊は、生活の小さな乱れを教えてくれるサインでもあるのだ。

 次に、母に取材してみると、「大人でも寝不足が続くと朝がつらくなるし、気持ちにも余裕がなくなるものだよ」と言っていた。母は僕よりずっと早く起きて家事をしているが、それでも寝るのが遅くなると朝が重く感じるという。僕たちの年代ならなおさらで、「しっかり眠れていないと、体も頭も十分に働かないよ」と教えてくれた。専門家によると、僕たちの年代は一晩に八〜十時間の睡眠が必要だと言われている。体や脳がまだ発達している時期なので、睡眠が足りないと集中力が落ちたり、感情が不安定になったりするらしい。つまり、朝寝坊は僕たちの体が「もっと休みが必要だよ」と知らせていることもあるのだ。そう考えると、寝坊は決してただの失敗と言い切れないところがある。朝寝坊は単なる「寝過ごし」ではなく、僕たちが気づかないうちにためこんでしまった負担を知らせる警報のようなものなのだと思う。

 とはいえ、朝寝坊した日の朝は、限られた時間の中で何を優先するかをすぐに決めなくてはならない。身支度を急ぐか、忘れ物がないようにカバンを確認するか、その選び方には自分の性格がそのまま出る気がする。慌ただしい時間ほど、自分が普段どんなことを大事にしているのかがよく見えてくる。それは、失敗の中にひそむ小さな発見でもある。つまり、朝寝坊という失敗は、単に困った出来事ではなく、自分自身を知るための小さな発見の場にもなっているのだ。

 もちろん、朝寝坊を続けていれば生活リズムはどんどん乱れてしまう。だから僕は、寝坊した日はただ反省するだけではなく、夜の過ごし方を少し見直すようにして、改善している。早めに寝るように心がけたり、次の日の準備を前日に終わらせておいたり、ちょっとした工夫を積み重ねるだけで朝の慌ただしさはかなり減ると思う。朝寝坊は、生活を立て直すためのヒントをくれる出来事でもある。

 人間にとって失敗とは、ただ落ち込むだけの出来事ではなく、自分を立て直すための大切なきっかけにもなり得るものなのだ。確かに朝寝坊は決して誇れることではなく、その日一日の流れを乱してしまうこともある。しかし「失敗は成功のもと」ということわざがあるように、どんな失敗にも必ず学べる何かが隠れているのだ。朝寝坊もまた同じで、生活の中にひそむ無理や疲れに気づかせてくれるサインであり、見落としていた習慣を見直すチャンスでもあるのだ。たまに訪れるこうした小さなつまずきを通して、自分の行動や心の状態をていねいに振り返り、より良い明日につなげていけたらと思う。