自然と共に生きるには

   小6 あえほあ(aehoa)  2025年11月4日

 年寄りが行けるような身近な所に、薪狩りのできる林があり、また、家のすぐそばには洗濯のできるきれいな小川が流れているといった、この素朴な集落の光景は、日本人にとっての一つの原風景といってもよいだろう。そこで思いあたるのは、この国のもともとの集落形成が、多くの場合、扇状地から始められてきたことだ。また、こうした里山への動きかけの底流には、自然への畏敬があった。

 わたしの家の近くに公園がある。道の両側に植物が植えてあって春には、白い花を咲かせて、夏になったら緑の葉っぱで覆われて、秋になったら紅葉のような黄色、オレンジ、赤色の葉っぱに変わり、冬になったら葉っぱが全部散り枝だけになる。まるでお花畑のように春夏秋冬を感じられる植物が、わたしは大好きだ。ほかにも公園には、柿の木があったりしていろいろな植物や木が生えている所も好きな所だ。そもそもわたしは自然が大好きなのだ。植物や木の色鮮やかなところ人でも作れないような崖や鍾乳洞を見るたびに感動するのだ。長い歳月をかけて出来上がったものは頑丈で、でも美しい。それは今の人間ではできないことである。でもそんな美しい自然を壊して家やマンション、高速道路にしてしまう。たった小さな葉っぱでも一つの命なんだから大切にしてほしいなとわたしは思う。といってもわたしが今暮らしている家ももとは木や植物が生えていたところかもしれない。だから、家などを建てるなとは言っていない、ただ植物を大切にしてといっているのだ。そこを勘違いしないでほしい。どんな小さな命でも大切にしようということをもっと一人一人がよく考えてほしいなとわたしは思っている。実際植物が絶滅したら二酸化炭素を酸素に変える物は無くなってしまうかもしれないと考えてみるといいと思う。

 最近日本各地でクマの出没が増えているからなぜ今増えているのかを調べてみたから四つ紹介する。まず一つ目はドングリなどの餌についてだ。今年は特にブナやコナラなど、クマの主食であるドングリが不作だった地域が多くて、クマたちは食べ物を求めて人里に下りてきているそうだ。わたしだったらドングリの木を植えるかなと思った。二つ目は、クマの個体数の増加と分布域の拡大だ。保護政策や狩猟の自粛によって、クマの数が増えてきているのも一因。特に東日本では個体数の管理が不十分だったため、想定以上にクマが増えている可能性があるそうだ。三つ目は、人間の生活の変化だ。里山の放棄によって、クマと人間の生活の境界があいまいになってきているのも大きな要因。昔は人の手が入っていた里山が、今ではクマのすみかになっていることもあるそうだ。最後に四つ目は、クマの行動の変化だ。最近は「人を怖がらないクマ」が増えてきていて、人間の存在に慣れてしまった「アーバンベア」と呼ばれるクマもいるそうだ。親グマが子グマに「人里に行けば柿があるよ」と人間のように教えているケースもあるそうだ。

 人間にとって自然とは欠かせない大切なものであるし人類が生まれた時からあったものである。植物が絶滅しても人口的に作ればいいじゃないかと思う人がいるとは思うが自然に作られた植物の方がわたしはいいなと思う。でも自然だけ大切にするのではなく動物も大切にするのだ。