灯台下暗し~母と海外~
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年月日
「クッキーみたい」これぼくの台湾で起こった悲劇だ。台湾に来て一日目は、台北のホテルに泊まった。このホテルの最大の魅力はエレベーターに四階の表示がないそもそも四階がないというところで、ぼくの憶測だが「四」は、「死」をおなじ読みをするから縁起が悪いと言われていると思う。
ホテルには、食堂があった団体用と一般の人がバイキングで食べる場所だった。「ヒッポファミリークラブ」という団体名で来ているので団体用の食堂だった。メニューが決まっていたので食堂で食べた1食は忘れていません。まずお米が出てきてその次に「クッキー」と呼ばれるほど口に合わない「お肉」が出てきた。この肉は、薄い味で肉の中まで味がついてなくて、日本でいうと手羽先だった。手羽先は、外に濃い味がついていて、一緒に食べることが出来るけれど「クッキー」は薄味だから一緒に食べても味がしない。一人三つ配られ、完食しなきゃいけないルールだった。それでもぼくは、口に肉を運んだ。
見た目はおいしそうだったけれど、人種が違うと味付けや魚や肉の柔らかさが違うということと考えた。
姉に聞いた話だ。おいしいと思った料理はと聞くと姉は
「ママが作った自家製料理かな」
と即答してくれた。これは、母の料理スキルだけでなく愛情をこめて作っているから、食べている側としては愛情が口に入って美味しく感じるのだと思う。ぼくもお店で食べた料理より母が作った料理の方がおいしいと思う、なぜならぼくが、料理スキルだけが料理だと考えていない。先ほど言った通り愛情がこもっているかが大事だからだと思う。
ママが料理している時は、分量を見ていない、ある材料だけで作っていることが多く、ぼくはいつもすごいな~と思いながら見ている。それでもぼくに合う味付けでおいしい。ぼくは、これはママの最大の魅力だと思っている。ちなみにぼくが母の料理の中で一番好きなのはしらす丼でしらすをごはんとだんだんにして刻みのりと醤油をのせて食べるところが好きだ。
灯台下暗しと言うことわざがぼくと姉の体験談に合うと思った。身近にある大切なものほど気づきにくい、という意味。毎日何気なく食べていたお母さんの料理が、海外に行って初めてそのすごさに気づいた、という文脈にとても自然につながる。日本では、嫌いなものがないぼくだけど台湾や海外に出ると出会ったことがない味付けや食感が出てくるから日本でぼく舌に合わせて味付けしてくれる母は、すごいということが分かった。