遅刻
小6 よしたか(yositaka)
2025年12月1日
ランドセルがいつもより重たく感じられたあの朝、僕は普段より少し速い歩幅で家を飛び出した。空はやけに澄んでいるのに、胸の奥だけはざわついて落ち着かず、気持ちの中に薄い霧がかかっているようだった。チャイムまでの残り時間を急いで計算するほど焦りは強まり、枕元で二度寝した自分をいくら悔やんでも、迫ってくる遅刻の予感は消えてくれない。校門へ向かう坂道を駆け下りると、自分の靴音が「早くしろ」と急かしてくるみたいに響き、息を切らしながら教室へ飛び込む瞬間、クラスの視線が一気に僕へ向けられるあの独特な空気が胸にのしかかった。先生の深いため息は、小学生の僕でもはっきり分かるくらい重く、時間に遅れるという行為が、人の気持ちや流れにどれほど影響するのかを痛感させた。あの朝の張り詰めた空気は、子どもである僕にも「時間の厳しさ」を静かに刻み込んでいった。 学校という小さな世界でも、時間に遅れることの影響は意外なほど広い。朝の会が少しだけずれただけで教室の空気の張りが変わり、係活動に遅れれば準備を進めていた友だちの手が止まってしまう。わずかな遅れが全体の流れを乱すという意味では、大人の社会と驚くほど似ている。電車の数分の遅延が多くの人の予定を狂わせることや、医療や救急の現場で数分が大きな結果を生むことをニュースで知ったとき、僕は「時間を守る」という行為の重さを今まで以上に意識するようになった。もちろん、僕たち小学生の生活に命が関わるようなことはない。それでも、集団のリズムを乱すきっかけになるという点は決して軽くなく、遅刻は単なる不注意ではなく、周囲との呼吸を崩す小さな歯車のずれなのだと気づかされた。自分が思っているよりも、時間への態度は人との関係に静かに影響を与えているのだ。
だから僕は、遅刻を「よくあるミス」で終わらせず、自分を整えるための大事な印として受け止めたいと思うようになった。昨日の失敗を明日へつなげるためにも、そして周りの人への思いやりを忘れないためにも、時間を守る姿勢を丁寧に積み重ねていこうと心に決めている。時間に誠実であることは、年齢に関係なく信頼を築く最も分かりやすい方法だし、小学生の僕でも確実に取り組めることだ。遅刻したときの胸の痛みを忘れぬよう、少しずつでも自分を前に進ませる努力を続けていきたい。そして同じ失敗をくり返さないよう、油断大敵という言葉を心の真ん中に置き、明日こそは胸を張って校門をくぐれるようにしたい。時間を大切にするという、一見当たり前のようでいて実は難しい行為こそ、これからの僕の成長を支えてくれる力になると信じている。