清書

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私は、暉峻淑子作の「豊かさとはなにか」という文章を読んだ

交通費にわずらわされることのない人間の自由の移動が、どれほど大きな生活の安定と平等に寄与していることか。西ドイツの労働時間は、製造業で日本より約五百時間短いと一般に言われるが、さらに年間千五百時間労働から千四百時間労働に一般に向けて足並みよ揃えつつある。日本は年間二千百五十時間。一日の中に、労働と文化生活と家族の団らんの3つのことが並行して行われるゆとりがあるのだ。

仕事を私生活よりも重視している日本社会に問題があると思う。

第一の原因には、家族のために働くという概念があるからだ。家族を持つ日本人の多くは、長時間働くことを家族のためにという大義名分を付ける人が多い。夫婦喧嘩をしたときに、旦那が家族のために働いていという言い訳をするというイメージを多くの日本人は持っている。しかし、実際に家にいる時間を減らすまで稼ぐお金もたかが知れたものである。たしかに、帰りたくても帰れない状況の人もいるし、実際働いて家族を支えている人は立派である。しかし、家族のために働くといいながら、家族との時間を過ごせないのは、本末転倒だと思う。

第二の原因には、努力を量で測る文化があるからだ。日本には努力をかけて時間で評価をしていると感じる。例えば、学校の教室で休日に15時間勉強をしたという自慢する人もいる。これは、こなした量かかわらず、15時間という長時間勉強をしたという時間ですごいと思われるのは日本だけである。逆に短時間で何かをすると、てきとうにしたや、やる気がないと思われる。また、効率よく何かをこなしても、それを評価されないことも度々あると感じる。これによって多くの社会人は仕事場で長時間居る現象が起こる。これによって短時間でっ効率良くできる作業などをものすごく効率悪く長時間をかけてする人も増える。

確かに、家族や、自分のために仕事をすることは素晴らしいことである。しかし、働いている理由の家族や自分の時間を削ってまで働くということはただの矛盾であり、生きるために働くのか働くために生きるのかという問いを自分にといかけて働いていくべきだと思う。