死
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年月日
我々はかられる感覚をすっかり忘れてしまった。だから自分より強くて速い相手にかられることはそのまま極端な不幸であるという単純な認識にこりかたまってしまっている。弱い動物は自分が生きているという実感を改めて感じて幸福感を味わうのかもしれない。動物にとって使途は衰弱した精神が描く単純で恐怖の源ではない。近代の宗教がまことしやかに語る安らかな最期や大銃声の準備とは実は失われた野生動物と狩猟民族の精神の回復ということではないか。私は、野生動物のように、死を意識して生きることは大切だと思う。理由は二つある。
その理由は第一に、死のような締め切りがあるからこそ物事に一生懸命に取り組むことができるからだ。私にはテストという締め切りがなければ集中して勉強することができないという友達がいた。その友達は、よく「勉強していいことある?ないでしょ。」と言っていた。私を含めていろいろな人が彼に白い目を向けていた。そんな彼が勉強をした出来事がある。それはけんばんがくりょくてすとという県が運営しているテストだ。授業でそのテストの過去問を解いた。彼は全然問題が解けなかったらしい。彼はすごく焦っていた。その焦り用は、大事な会議に遅れた会社員のようだった。だから、彼は本気で勉強した。彼にどのくらい勉強をしているか聞いてみた。毎日5時間近く勉強をしているらしい。私はそれを聞いて、心臓が目から飛び出るかと思った。その結果テストはとてもいい点数だった。先生は彼のことを耳に胼胝ができるくらいほめていた。先生は「よくやった、見直したぞ。これからもその調子でな。」といった。みんなの前で褒められた彼はほほが赤くなっていた。それから彼は全然勉強しなくなった。またでかいテストが来ると死に物狂いで勉強して、それが終わったら、だらだらしてという生活をしている。だから、私は市のような締め切りがあるべきだと思う。
その理由は第二に、死のような締め切りを自覚しないと計画性のない人生を送ってしまうからだ。日本人の平均寿命は男性が約81歳で、女性が約87歳だ。日本は世界で見ても平均寿命が長い国だ。しかし、このような寿命があるということが分かると、それに合わせて老後の計画なども立てられると思う。だから、私は老後の計画を立てている人数の割合が気になる。老後の計画を立てているのは約40%だ。私はこの数字を見て少なすぎると思った。今度は老後の計画を立てている人の特徴が気になった。老後の計画を立てている人の特徴は、家計簿を立てている人や、将来に必要なお金を考えることができる人や、投資をしている人だ。この人たちはなぜそのようなことをしているかというと死への不安や、お金が足りないのではないかという不安があるからだ。この人たちは、死という締め切りがあるということを知っている。だから、死のような締め切りを自覚すべきだと思う。
確かに死を克服しようとして人間の文化は進歩してきた。しかし、「限られた人生で、大事なことは、「何をするか」ではなく「何をしないか」である。」という名言があるように、人間は、「できる」ことを意識するよりも「できない」ことを意識したときに充実した人生を歩みはじめる。だから、私は野生動物のように、死を意識して生きることが大切だと思う。