朝寝坊

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 朝が苦手なのは昔からだ。特に最近は夜になるとつい動画を見すぎてしまい、翌朝の目覚ましが鳴っても、体が布団に沈んだまま動かないことが多い。あの、目を開けた瞬間に「あ、終わった……」と悟る瞬間は、誰より私がよく知っている。家を出る時間が迫っているのに体が動かないあの焦りは、毎回自分で自分を追い込んでいるようで、情けない気持ちになる。生活のリズムが乱れると気持ちまで乱れてしまい、まさに 「悪循環」 という言葉がぴったりだった。そんな毎朝の戦いの中で、私はどうすればこのクセを直せるのかずっと考えていた。

 ある日、ふとネットで「エジソンは毎日わずかな睡眠しか取らなかった」という話を目にした。もちろん、彼のまねをする気はないが、彼が 「工夫こそが発明の母」 と考えていたことには強く惹かれた。睡眠時間が短かったことよりも、自分の弱点も時間の使い方も、すべてを「工夫」で乗り越えようとした姿勢こそ学ぶべきだと思った。同時に、宮本武蔵の 「千日之行、千日の業」 という言葉も思い出した。どんな小さな習慣でも、続けることで自分をつくるという意味だ。偉人たちの考え方は、生き方そのものが四字熟語のように凝縮されていて、私のなかに静かに落ちてくるものがあった。そこで私は、朝寝坊という小さな悩みでも、工夫と継続で改善できるのではないかと気づいた。

 まず取りかかったのは夜の過ごし方だ。寝る前のスマホをやめるのは正直つらかったが、代わりに簡単なストレッチを入れたら、思っていたよりすっと眠れた。また、目覚まし時計をただ鳴らすだけでは起きられないことが多かったので、部屋の反対側に置くようにし、強制的に歩かないと止められない仕組みに変えた。さらに、前日の夜に明日の服や持ち物を揃えておくと、朝の焦りがだいぶ減った。こうした工夫を積み重ねるうちに、朝に少し余裕が生まれ、外の空気を吸う時間までできた。余裕ができると心にも隙間が生まれ、いちいち慌てなくなった自分に驚いた。これこそまさに 「習慣化」 の力であり、エジソンの言う「工夫」の効果なのだと実感した。

 そして気づいたのは、朝寝坊という問題は単なる生活リズムの崩れではなく、自分の弱さとの向き合い方そのものだということだ。誰に注意されなくても、自分で自分を律しようとする小さな努力は、偉人のような大きな功績こそ残せなくても、自分の人生の質を確かに変えていく。朝、布団から抜け出すというささいな行動が、毎日のリスタートのスイッチになり、それが積み重なることで気持ちも前向きになる。失敗しても、また工夫して立ち上がればいい。失敗しても、また工夫して立ち上がればいい。そういう柔らかい強さを身につけていくことこそが、きっと 人間とは成長を続ける存在なのだ。