閃きのために

    ()  年月日

 ビートルズが熱狂的に迎えられ始めたころ、私は音楽評論家たちが力説するよさがいっこうに理解できなかった。それがある日、イージー・リスニング・ナンバーのレコードを耳にしたとたん、思わずうっとりした。わが耳を疑うとはこのことかという体験だった。「一瞬の閃き」による理解。これを体験するためには、やはり相応の試行錯誤の歳月がいる。試行錯誤を繰り返すことをいとわず、疑ってかかる姿勢を失わずにいるかぎり、そういう瞬間はいつかやってくるだろうということは十分に期待できる。

 未来の閃きのために、何度も繰り返して、数をこなすことを大切にすべきだ。

 第一の方法は、少しずつ手段を変えながら、試行錯誤していくことだ。先々週、クラシックギターの発表会があった。僕は、アルハンブラの思い出という、クラシックギターの中の名曲であるものを弾いた。この曲はトレモロ奏法という弾き方をしている。トレモロ奏法とは、曲のメロディーを一つの弦で、薬指、中指、人差し指の順で弾き、それを連続して行う奏法だ。一つひとつの音でも、音が伸びるように続けて、そして指を速く動かすことで音がつながり、一つの長いメロディーになっていく。僕は、そのトレモロがうまくできず、ずっと苦労していた。伴奏部分は親指を使うため、親指の方は意識せず、トレモロだけに集中するといった方法なども試してみたが、どちらもバランスよく弾くことはできず、完璧だ!と思うものにはならなかった。そんな、ちょっとぎりぎりの状況の中、僕に悲劇が訪れた。なんと、発表会の前々日、駅伝部の練習で人差し指の爪が完全に割れてしまったのだ!原因はこけたからである。人差し指はトレモロの中で、自分が苦労していた指だった。人差し指は、他の指に続くまでに、特に音を伸ばさないといけないからだ。だから、一番割れてほしくないところが割れてしまうという、危機的状況だったのだ。その後、割れたところはつけ爪で補えたものの、やはり発表会前日になっても良いと思えるものをにはならなかった。しかし当日、練習中に、突然、ピカッと電撃が走った気がした。「これだ!」と満足して弾けるようになったのだ。波に乗った感覚だった。練習の積み重ねが表れたのだとうれしかった。発表会当日が練習してきて、今までで一番楽しんで弾けた日になった。

 第二の方法は、遠回りの中にある、道草も大切にすることだ。僕は高校まで、スマホを持っていなかった。だから、バスや電車で移動するときは、いつも外の景色を見ており、スマホばかり見ている人を、「もったいないな」と思いつつも、うらやましさを感じていた。だが、今ではスマホを持っており、寮から実家へ帰るバスの中、ゲームをするというのをちょくちょくするようになった。それを通して、僕はやっとあることに気づいた。スマホを見ていたら、周りが全くみえなくなるのだ。目の前にあるはずの景色も、音も消え、スマホの画面に意識が吸い込まれる。ある日実家に帰るときに、スマホは一切使わずに景色だけ見て帰った。すると、今までみえなかったものが多くみえてきたのだ。水鳥の群れ、サギのコロニーなどだ。そして、やらかしたー!と思った。こんな大切なものに気づけていなかったのだ。それからはスマホは見ないようにしている。ブッタの名言で、「執着は、真理を覆い隠す雲である。」というものがある。ブッタは当時、様々な身分の人から相談を受けていた。その中で、世は無常だから、あるものに執着している人は、必ず苦しみを受けると考えたそうだ。この場合、スマホも同じだろう。スマホは、近隣を覆い隠す雲なのだ。

 たしかに、無駄な時間を減らそうとし、効率よく動くことも大切だ。しかし、何も得られなかった時間は、無駄な時間ではなく、未来につながる可能性を秘めた時間である。だから、未来の閃きのために、何度も繰り返して数をこなすことを大切にすべきだ。