食べるときにも先入観?
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年月日
「おいしくなさそうな香り……」
私の家族はおいしいものに目がない。他の家族がキャンプ・家庭菜園等に夢中になるのと同じようにおいしいものに夢中になっている。そんな美味しいものを探すために父と母は「〇〇牛」等の情報に敏感になっている。私はそういうものに注目しないし、賞味期限等も確認しないから、まだおいしいものを見つける能力を手に入れていない。だから着々とゆっくり学んでいきたい。私の中ではおいしいものを見つける能力、というのに、五感は入っていない。しかし、今私はその能力の定義に五感を入れるべきなのか迷っている。匂いだとか、色だとかが変わると味が変わるのか知らないからだ。
私は祖母の家にくず餅を食べに行ったことがある。そのとき、なぜかくず餅から草のような変なにおいが出てきた。おいしくないに違いない、と決めつけながらも恐る恐る食べてみるととても美味しくて感動した。私は、今回の期待していなかったものがおいしく感じる、くず餅のようなパターンとは反対の、期待を下回ったパターンも経験したことがある。それは、父が私と母、そして父自身に買った高級チョコレートだ。私と母はそれぞれ四つか五つのチョコレートをそれぞれもらい、大切に食べた。どれも舌に乗るとすぐに溶けていき、まるで天に上るような気持ちになった。しかし、一つのブレッドオレンジ味のチョコレートだけ、家族に不評だった。そのチョコレートは後味が苦くて、『ちょっと甘くしようとしたけど、すぐその甘い部分がとれちゃう薬』みたいだった。母は
「薬みたいな味がする」
と顔をしかめた。それを聞いた私が、そのチョコレートを食べ、
「高級なのにこの味だとね。」
といった。今思い返すと意見が辛口すぎたとは感じる。しかし、そのときは本当にそう感じたのだ。考えてみると、きっと私たちは『高級』『お金がかかる』という情報を持っていて期待もしていた。しかし、その分期待に応えられなかったチョコにがっくり来てしまったのだろう。普通のチョコレートと比べればそれも十分おいしかったのだ。それなのにこんなにも不人気だったのはやはり、私たちの頭がお金がかかる、とか高級とかいう事で支配されていたからに違いない。くず餅についても、美味しくなさそう、と期待していなかった反動で、『おいしい』が倍になって『とってもおいしい』に変換したのだ。このことから、私は料理や食べ物の味は感情でも左右されるのではないかと思った。
母に、私のような経験はないかと尋ねてみると、黒毛和牛や、無農薬の野菜などと聞くと、実際少し美味しいくらいでもとっても美味しく感じてしまうらしい。母はその状態のことを『先入観が働いている』というのだと教えてくれた。それを聞いて、私もその現象が起きてしまうことを思い出した。そのような情報があると『絶対美味しいに決まってる!』と決めつけてしまう。だからおいしくないことがない限り、普通の味でも感動するのだ。
食べる前の情報によってバイアスが働くため、同じものを食べても味の感じ方は異なると分かった。色眼鏡で見る、ということわざがある。このことわざは悪い意味でつかわれることがあるが、私はきれいな色眼鏡をかけて食べることを楽しみたい。