言葉の原動力
中2 ゆらゆら(yurayura)
2025年12月1日
私たちは、「手をあげよう」と思えば手が上げられます。手を上げるためには。たくさんの筋肉の複雑な収縮が必要ですが、それについては私たちはなにも知らないのに、手が上げられるのはなぜでしょうか。「手を上げよう」と思うと、以前手を上げたときの脳機能が無意識のうちにはたらいて、ひとりでに手が上がるのです。ところで、何をするにしろ、どうしたら失敗するか、ということを知っていて失敗することはめったにありません。どういうわけか失敗してしまうのです。ところが、失敗を恐れると、脳も人間も発展しません。どうしたら成功するかは、本人にも自覚されていませんが、以前に成功した経験があると、そのときの脳のはたらきがひとりでに進行して、成功を重ねることになるのです。
確かに、言葉が行動にプラスの影響を与える面はある。私には、好きな動画投稿者がいる。その人のことは、私が中学一年生の時から好きだ。その人は学生で、今は大学生なのだが、過去に自分が行きたい高校に合格するため、必死に勉強を頑張っていた。私はその人のおかげで、苦手だった勉強が、楽しいと思えるようになった。その人の動画は、主に『一日の過ごし方』など、ブログ投稿をしてくれていて、かわいい家に住んでいる子なので、とても憧れの存在だ。私は、その子の言ってくれた言葉のおかげで、勉強が楽しいと思えるようになった。それは、『今日も一日疲れた、そう思えるのは一日頑張った証拠。』という言葉だ。私は、その言葉を知るまで、勉強は疲れるからめんどくさいなと逃げてきた。しかし、その言葉を知ってからは、疲れることって、本当に素敵なことだな、と思えるようになり、私も、自分が疲れるくらい、精一杯勉強を頑張ろうと思えるようになった。それからは、自分が楽しく勉強ができるように、その子の使っている文房具などを真似して、その子に少しでも近づけるように勉強を頑張っている。
しかし、言葉が行動のブレーキになることもある。私には、もう一人好きな動画投稿者がいる。その人は今、社会人の女性で、その人もかわいい家に住んでいる。その人は、適応障害という精神の病気を患っている。その人は、一度転職していて、最初は金融業の仕事をしていたらしいのだが、今はフリーランスという在宅の仕事をしている。その人が転職したのは、職場の人間関係で色々あったからだそうだ。価値観の違いで色んなことを言われてしまい、外に出ることができなくなってしまったそうだ。今は、インターネットで動画投稿をしているが、インターネットには誹謗中傷という問題がある。その人も、たまに誹謗中傷のコメントに悩まされてしまって、たまに体調を崩してしまうことがあるそうだ。言葉というのは、簡単に発することができる。しかし、簡単に発した言葉は相手にとって、行動することが難しくなってしまうかもしれない。
確かに、言葉には、行動するための大きな力がある。しかし、行動のブレーキになることもある。言葉を使うことで、一番大切なことは、『寒さにふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる。』という名言もあるように、他人の行動の原動力になるような、優しい言葉をかけてあげることが大切だ。私は、過去に傷つく言葉を言われたこともあるし、人の言葉で精神病になってしまった人を知っているからこそ、自分以外の人に、言葉で救われてほしいなと思う。私はこれから、自分の言葉で、誰かを救えるようになっていきたい。そのために、優しい心を持って、優しい言葉をかけられる人間になっていきたい。