死を意識して生きることの大切さ
中1 あさみり(asamiri)
2025年12月1日
人は道具を扱い強くなったために狩る立場に立つことはあっても狩られる側にまわることはほとんどなくなった。しかし、追われる立場で動物としての知恵をしぼって相手をまくこと、いやもっと危なくギリギリまで追いすがられて、自分の脚力だけをたよりにからくも逃げきること、相手の存在に一瞬早く気づいて巧みに回避することにこそ弱い動物は自分が生きているという実感を改めて感じて幸福感を味わうのかもしれない。肉食獣に追われて逃げ切るか食われるかは一つのゲームであり、その危険なゲームに参加し、興奮と高揚を味わう。そうゆう濃密な時間が、生きていることのありがたみに気づかせてくれているのだ。このことから私は、野生動物のように、死を意識して生きることは大切だと思う。〈主題〉
第一の理由は、〈構成〉死のような締切があるからこそ今を大切にしようと思えるからだ。この前読んだ「君の膵臓を食べたい」では余命宣告を受けた女の子が残りの時間を大切に生きようとするという内容で、「一日の価値は全部一緒なんだから」というセリフなど、明日がくる保証は誰にもないという事実を静かに受け止めた上で、非日常のイベントではなく、ありふれた日常の中にこそ幸せを見出す彼女の強さが、今生きていられることの幸せに気づかせてくれる素敵な作品だ。このように、今生きていることの幸せは死のような期限があるからこそ気づくことができるものなのだ。〈題材〉
第二の理由は〈構成〉死を意識することで人生を豊かにすることができると思うからだ。死がいずれ訪れるなら、のこりの人生を精一杯楽しんで濃い人生にしたいと私は思う。平均寿命の国際比較のデータをみると、日本男性は77歳女性は84歳でいずれも世界一位である。しかし、このような寿命があるということがわかるとそれに合わせて老後の計画がたてられる。例えば旅行に行くために足を鍛えたり、美味しいものを食べるため歯を鍛える。寿命の目標を決め、それに向かって健康的でいられるよう睡眠食事運動をバランスよくとってみるなど残りの人生を考えてみることで、自分なりの理想の生き方で過ごすことができる。人は目標と期限が決まった時に一生懸命取り組むことができるのだ。〈題材〉
たしかに死ぬことはとても怖く、好き好んで考えたいとは思わない。だが、〈主題〉「限られた人生で大事なことは、何をするかではなく何をしないかである」という名言もあるように〈表現〉「できる」ことより「できない」ことを意識することで将来と今を見つめ直せる。つまり、死という人生の締切を意識するからこそ有意義で濃密な人生を送れるのだ。〈主題だから私は、今生きていられていることに感謝と緊張感を持ち、残りの人生が理想的な過ごし方であれるよう心がけていきたい。〈構成〉