私たちは、手をあげようと

   中3 まさゆき(akiroma)  2025年12月1日

 私たちは、「手を上げよう」と思えば手が上げられる。実際に手を上げた経験があって、それと「手を上げる」ということばとが結びつく。そこから脳機能が無意識のうちにはたらいて、ひとりでに手が上がる。要するにある動作を意識して、その経験から発展して、無意識のうちにすることができるようになる。一方、何をするにしろ、どうしたら失敗するか、ということを知っていて失敗することはめったにない。しかしどういうわけか失敗してしまう。その失敗から、「やばい」などの不安感情も出てくる。このようにできたことや失敗したことにはいろいろな感情が含まれる。では、失敗したときの感情はどうあるべきなのだろうか。また挑戦や経験は大事なのだろうか?

 一つ目の意見は、経験や挑戦で失敗をすることは、また失敗をしてしまうというネガティブ思考に繋がるという考えである。確かに誰でも何かしらで失敗したときは、「やらかした」や「次失敗したら本当にヤバイ」などの感情を持ったことがあるだろう。実際に私も、野球の準決勝の試合で同点の場面で、冷静な判断が出来ず、無茶な走塁をして大きくやらかした。そのときは、一部のチームメートからも怒られたし、自分でその後も俺のところに何か起きるなと受け身の姿勢で、ずっとネガティブ思考になった。そのことを三日ぐらい引きずったし、今後挑戦とかしたくなくなってしまった。

 二つ目の意見は、挑戦や経験で失敗をすることは、実際にやってみないとできないもので、そこから成長するのだ。失敗から課題点や今後どうしなければいけないかが表面化してくる。そのため、意識して直したりほかの人の失敗から学んで修正できる。例として昔話の「三匹の子豚」があげられる。一人目はわら、二人目は木と、軽くて簡単に津kれる素材で作ったため、簡単に壊れてしまったが、それらの事を学んだ三匹目の子豚はとても作るのに大変だが、レンガで頑丈な家を作った。よって簡単に壊れるどころか、一回も壊れずに終わった。このように、前の人たちや周りの人たち、なんなら自分が過去にやってしまったことの失敗や経験があるからこそ対策や手が打てるのだ。実際に日本では、自身の被害が関東大震災や阪神淡路大震災などの被害は、すさまじかったが、最近の能登半島地震や熊本地震では、被害の数が明らかに減っている。これらの事は、経験から学んで、後世に生かすという形によって、被害を抑えている。

 確かに、失敗をすることは、また失敗をしてしまうというネガティブ思考に繋がるという側面があったり、失敗をすることは、経験しないとできないもので、そこから成長するという意見もある。ただ私が一番大切だと思うのは、これらの事ではなく、最終的な目的について考えたり、失敗もしくは成功した後どうしたいのか何がほかにできるかを考えるのが大切だと思う。