外国人に日本語を(感)

    ()  年月日

  日本語学習者を教える中で、筆者は欧米人の「はい/いいえ」の答え方が日本人より強く聞こえることに気づく。しかし実際は、彼らは肯定・否定どちらも明確に答えようとしているだけであり、日本人の耳に「いいえ」が強すぎると感じられるのは、日本人自身が否定を控えめに言う習慣をもつためである。英語では質問者と答え手が客観的事実を基準に答えるため、否定でもはっきり言うことが相手への礼儀となる。一方、日本語では否定が質問文や質問者の意向に向けられ、強い「いいえ」は相手の考え方の否定につながりかねないため声を弱めがちになる。この違いから、日本人は曖昧な返答や非言語的手がかりで意味を補うが、外国人には理解しにくい場合が多い。

 欧米人のように「いいえ」をはっきり言うことは大切だ。国語の授業で品詞について学んだ時「わからなかったら今から10分時間を測るので聞きにいてください。わかる人は問題をやってください」と言われあまり分からなかったので聞きに行こうとした。しかし、クラスメイトは誰も聞きにいかなかったので自分も聞きにいかなかった。そのせいで次の授業の時、確認問題というものをやったが全くできなかった。それでやっと先生に質問するっことができまた次の授業で行った確認問題では満点を取ることができた。このことから、何か言いたいのであればきっちりと言うことは重要だ。

 しかし、日本人が「いいえ」をはっきりと言わないのは相手に対する思いやりの気持ちが働くからだ。例えば「桃太郎」があげられる。桃太郎は桃から生まれた子で村におじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んでいた。しかし、鬼に村が苦しめられていたので桃太郎は猿、雉、犬をつれて鬼退治をしに行き見事に勝ちお宝を持ち帰ることができた、という話だ。桃太郎は猿、雉、犬を味方にするとき、きび団子を上げる。その時味方にならないとはっきり言わなかったので、それは相手に対する思いやりの気持ちが働くからだとおもった。はっきりと言わずに相手の気持ちを思いやることで大きな利益を生むことがあるのだ。

 確かに誤解のないように自分の意志を伝えていくことも相手に対する思いやりを持つこともどちらも大切だ。しかし、「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言もあるよう、一番大切なのは相手や場所、時によって自分の意志をはっきり伝えたり、相手に足して思いやりを持つことだ。