一つの「事実」に対する多様な「伝え方」
中2 あかるら(akarura)
2025年12月2日
日本人と外国人の差は言葉にも表れている。日本人は日頃「いいえ」をやや控え目に言うため、 外国人のきっぱりとした否定の態度に驚くことが少なくない。欧米では話の中の「事実」に対して答えているが、日本人は質問文の話し手の視線に合わせて自分との行動の一致点を見出した回答をしている。中には「いいえ」の代わりに「はい」と答える人もいるが、それは意味がある言葉を超え、ため息のようなものだ。日本人は心を読むことに長けている。
確かに、欧米のように「いいえ」とはっきり言うことも大切だ。自分の気持ちに合わせて分かりやすく相手に考えを伝え、誤解を防ぐことができるからだ。これは否定の意見を伝えることだけに留まらないだろう。私の学校には帰国子女が多く、その中の一人は私の親友だ。彼女は数年間アメリカに滞在していたが、会話の端々には日本と対照的な社会環境を生きてきたことが読み取れる。例えば、ディベートでは自分の考えをはっきりと主張し、反論も徹底している。このように明確な主張を重ねていくことが彼女の特徴であり強みでもある。しかし彼女と出会って二年以上経つ今も彼女の主張に驚いたり、時に厳しい言葉に傷付いたりすることもある。もしかするとこの特性は彼女の元からある性格の一つなのかもしれないが、感受性の強い時期に触れた欧米ならではの文化や雰囲気が彼女の考え方に影響したと言えるだろう。何かを押し通すあまり相手が不快な思いをすることは文化や考え方の違いとは関係なく、人間として皆が注意していかなければならないことだ。しかし明確な主張を重ねていくことによって、それぞれの体験や考えによって作られる「今」と向き合い、円滑な「これから」を形作っていくことができるだろう。
一方、日本人が「いいえ」をはっきりと言わないのは相手に対する思いやりの気持ちが働くからだと言える。否定に限らず自分の思いを曖昧に答えることは日本社会で円滑なコミュニケーションを築くために必要なことだろう。これは有名な昔話である「鶴の恩返し」でも同じだ。物語中にお嫁さんが「絶対に扉を開けてはいけません」とおじいさん達に伝えるシーンがある。ここで「なぜおじいさん達はお嫁さんの発言の理由を聞かなかったか」という疑問点が残る。ここに日本人の思いやりの心が表れていると捉えられる。おじいさん達が理由を気になったとしても彼女の事情を考慮し、はっきりと意見を伝えないことで相手に気を配ったのだろう。また、もしもこの場面で登場人物の一人が疑問を言葉にして尋ねてしまったら、ストーリーとして円滑に話が進まなくなってしまう可能性がある。不明確であることが疑問を残すことはあっても、その些細な気遣いの姿勢やその態度の背景を読む力は日本人にしかできないことであり、大切にしていく必要があると私は考える。
確かに誤解がないよう自分の意思を伝えることも相手に対する思いやりを持つこともどちらも大切だ。しかし、最も大切なのはその発言が相手のためになっているかを考えることだ。「人を動かすのは、あなたの言葉そのものではなく、その言葉が相手の利益になるかどうかである。」という言葉がある。会話には必ず相手がいる。だからこそ自分がどう伝えたいのかももちろんだが相手の願いも汲み取る必要がある。私も相手に分かりやすく伝わることを優先してコミュニケーションをとっていきたい。