自分自身
中3 あおてね(aotene)
2025年12月2日
「国際化」とは一体何だろうか。わけもわからずこの言葉を合言葉にように振り回して、日本を一定の方角へ闇雲に駆り立ててしまう前に、いま冷静に踏み止まって言葉の意味を問い直し、その用法を吟味し、他国との比較を試み、その上で進むべき方向を模索しても遅くはないのではなかろうか。私は他の人を基準にするのではなく、自分自身を基準とするような生き方をしたい。
第一の方法として、他人のことは気にしすぎない。学校でテストが返却される時、相手の点数が気になってしまう。これは多くの人が当てはまるだろう。もちろん私もそうだ。相手の点数を見た時、自分より低かったら安心するが、自分よりも高かったら焦るのだ。確かに、平均点や周りの人の点数を見て自分の位置がどこにいるか知ることは大切だ。しかし、勉強において大きな焦りや不安を作ることはよくない。なぜならモチベーションが下がってしまい、自分の成長が止まってしまうからだ。私の塾では毎月成績優秀者の表が配られる。先月その表を見た時、自分との差が大きく、焦った。その結果、その日の授業の正答率がいつもより低くなっていた。私は「絶対あの表を見たからだな。」と思い、家に帰って表の紙を破いて捨てた。そうすることでまたリセットし、勉強に集中できるからだ。このことから、一番最善の方法は昔の自分と比較することだ。成長したら自分を褒め、下がってしまったなら反省をすれば良いのだ。勉強は他人のために勉強するのではなく自分のためにするものなので周りのことはあまり気にしなくて良いのだ。
第二の理由として、自分自身を基準にする考え方の良さを学ぶ。たとえば、ガリレオ・ガリレイという人の生き方は、自分自身を基準にして考えることの大切さを示している。
当時は天動説が常識とされ、多くの学者もそれに従っていた。しかし、ガリレオは、望遠鏡による観察を重ねるうちに、自分の目で確かめた事実こそ信じるべきだと考え、地動説を支持した。しかし、周囲から批判され、宗教裁判にもかけられたが、それでも自分の観察と論理を基準に真理を追究した。その姿勢が、後の科学の発展に大きく貢献したのである。もし私が彼だったら、「地動説だ。」という考えを諦めると思う。きっと私は周囲の批判に負けて諦める。また、宗教裁判にかけられてしまったら素直に自分の非を認めるだろう。しかし、そう簡単に諦めてしまうことは勿体無いということを最近本を通して学んだ。このことから、他人の意見やその場の常識に流されず、自分の判断を大切にすることが、新しい発見や成長につながると言える。
確かに、相手と比較することも大切だ。しかし、「自分が考えるとおりに生きなければならない。」という言葉があるように、周囲の人に流されにくい人になりたい。周囲に流されやすいと自分のやりたいこと、達成したい目標に遠ざかってしまう。成功する人ほど少数派意見の人が多い。自分が反対だと思っていたら百人中九十九人が賛成していた。そのような状況であっても、自信を持って反対に手が挙げられるように、これからも自分の意思を第一にしていきたい。