なぜ列を作るのか
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今日の都市生活に欠かせない行列という社会現象がある。駅の切符売り場やタクシー乗り場、学生食堂などでの行列は以前からあったが、近頃ではデパートのトイレの前や、昼食時の都心の行列はもはや当たり前になった。しかし、その行列も先着優先の原則がなければ、誰も列を作ろうとはしない。このように、行列には独特の論理と構造がある。空港などでは、何人かがカウンターの前で待機し、何人かが並ぶのを見てから心配して自分も並ぶ。民主主義には一定の均質性が必要だが、行列を見ていると工業化社会が、近代社会の母胎であることがよくわかる。このことから、僕は行列に賛成だ。そう考える理由は二つある。
その理由は第一に、ルールを守らないと物事がスムーズに進まないからだ。なぜなら、ルールがないと自分が先と欲が出てしまい、結果的に物事がうまく進まない。実際に、僕が4年生の時のサッカーの試合の時に経験した話をしよう。その試合は、カップ戦と言って優勝、準優勝、3位にまでなればトロフィーやカップがもらえる、いわゆる大きな大会だ。そのときに、僕のチームはトロフィーなどはもらえなかったが、参加賞のうまい棒が25本ほどもらえた。それを、チームのみんなに配っていたのだが、そのうまい棒は一つ一つ味が違ったため、列などは無視して争奪戦になり、全員うまい棒をもらうまでに結構時間がかかった記憶がある。やはりこのような場面になると
「俺が先、私が先」
というような欲が出てこうなってしまったと今思い返したら思う。このときは列を作った方が良いが、列を崩さなければいけない場合もある。それは、公共の場でのトイレの話だ。トイレの場合は個人の状況などによって、漏れそうな人を先に行かせることがほとんどだ。このことから、列を作るのは状況によると思った。
そして、第二にルールを守らないと混乱する人が出てくるからだ。例えば、USJやディズニーランドなどの遊園地に入る前に誰もがすごい人数が並んでいる。データによれば、2024年であれば3,7万人で土日は約4から5万人が訪れるそうだ。ここで、入場ゲートの前でもしだれも列を作らずに開園したらどうなるのか。を考えてみる。まず、人間の心理的にこの場合私が先、俺が先などの欲が出てゲート付近で押し合いになり、スタッフや後ろにいる人が混乱する。そして、押し合いにより小さな喧嘩が起きるかもしれない。もしくは、押し合って転倒、怪我などが起こるかもしれない。このようなことから、このような場でも、列を作るというマナーがある方がいいと思った。
確かに、個々の事情を考慮しないのは問題だ。しかし、「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがある。」という名言があるように、行れるの良さも我々は認識すべきだ。私は、行列に賛成である。