行列の大切さ

   中1 すりりんご(akimano)  2025年12月2日

 今日の都市生活で行列という社会現象がある。モノを手に入れるなどの順番を待つ行列は、近代の工業化社会特有のものだろう。駅の切符売り場やタクシー乗り場などでの行列は以前からあったが、近ごろでは、デパートのトイレ前、昼食時の都心の食堂でも行列は当たり前の光景になった。供給関係に一定程度以上の不均衡があるところでは行列ができる可能性がある。行列をつくって順番を待つという習慣は元来が西欧の近代社会に特有な行動様式なのである。民主主義には一定の均質性が必要である。行列を見ると、工業化社会が近代民主主義の母胎であることが分かる。私は行列に賛成だ。

 第一の理由は、ルールを守ることによって物事がスムーズに進むからだ。私の学年は、人権学習を各クラスリモートでつなぎ行った。その授業は全部で六回あり、班での活動が多かった。最初の授業では、オリエンテーションの後、「アドジャン」という相手を知ろうというゲームをした。話すお題がテレビに映し出され、出席番号が小さい人から順番に答えていくというものだ。例えば、「好きな教科」というお題が出たら「私は歴史が好きです。」というように答えていった。最後の六回目は、学年で体育館に集まり、「学年アドジャン」をした。学年には、まだ一度も話したことがない人がたくさんいる。これは、他クラスの人との交流も交えていた。同じクラスでまとまる事を避けるため、無言で誕生日がはやい順で大きな円をつくり、そこから八人ずつのグループに分けるところから始まった。私たちの学年は他の学年と違って異様に騒がしい。円をつくることを聞いた時、最後は騒がしくなって先生に怒られるだろうなと思ったが、実際はまるで誰もいない体育館のように静かであった。無言というルールを守れたことでその後に行う、「学年アドジャン」が出来た。全員がルールを守れたことから、安心感がうまれ物事をうまくすすめられたのだと思う。

 第二の理由は、ルールを守らないと混乱が起こるからだ。私は、海外へ行くために国際空港へ行ったことがある。国際空港は、国内の空港とは違い、受付カウンターがA、B、Cなどと分けられ、自分の行き先のカウンターへ行くというシステムであった。どのカウンターにも人がきれいに並んでいた。そのため、スムーズな手続きができるのだろう。海外旅行者数(2008年法務省)によると、海外を旅行した人は15987250人だそうだ。普通に1000万人を超えている。これだけの人が安心して旅行をできるのは、列があるからだと思う。列がなかったら、誰が受付で手続きをしたらいいのかが分からないといった、混乱が起きてしまう。そのため、列をつくることで人々の誤解を招かずにスムーズに手続きをすることが出来る。

 確かに、個々の事情を考慮するべき案件もある。しかし、悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのであるという言葉があるように、行列をつくることでのメリットがあるのである。