決まりごと
高3 あかしか(akasika)
2025年12月2日
日本には数多くの規制があり、近頃は規制緩和の大合唱が起きている。規制には安全や環境保護、弱者保護や経済的不正の防止、景観保全や自然保護などの「必要」な規制と、利権の温床となる、あってもなくてもいいような規制の二種類がある。規制を決める時は、中央官庁の許認可権限につらなるため、一度決まってしまうとなかなか撤廃できない上に、天下りなどにつながる。もし、認可がフェアに行われていたら、規制案和の大合唱は起こっていなかっただろう。現在の日本は規制が多すぎることが問題である。
第一の原因として、集団意識の強さがある。日本は島国であり、みんな大体同じくらいであるべきという横並びの意識が強い。誰かが飛び抜けたり遅れを取りすぎたりしないように一定の場所にいたいと思う人が多い。私の通っている高校では、今年度から3年生だけ私服での登校ができるようになった。3年生は18歳になる年であり、成人である自覚を持ってもらうためだと説明された。制服という型にはまった状態が好きでない人は喜んでいたが、私服で登校すると、制服という統一された学校空間の中でとても目立ってしまう。そのため、私服で学校に来たいけれど、周りの生徒と雰囲気が違いすぎるのは嫌だという横並びの意識を持つ人が多く、結局私服で登校する人は少数派となった。集団意識の強さが色濃く表れていると感じた。
第二の原因として、規制が多い状態で生活することに慣れてしまっていることが考えられる。幼い頃から公園では「ボール遊びをしてはいけない」や「芝生に入るな」などのルールのもとで生活している。また、中学校と高校には校則があり、守ることが前提とされている。ときには校則に対して抗議をする人もいるが、大抵の場合、「ルールはルールだ」などと言われて何も変わらない。その結果、だんだんと抗議をしなくなり、ルールを受け入れて生活することに慣れていく。また、日本人は自分で判断することより、誰かに決めてほしいという人が多いという国民性がある。規則があれば物事の判断基準が明確になり、安心して生活できる。何をやってしまったら怒られるということがわかっていれば怒られる確率を下げることができる。これに対して安心感を覚えるため、率先して規則を作っていき、慣れる環境も整えていったのだろう。
確かに、弱者を守る規則も大切だ。しかし、「規則とは、苦しむためのものではなく、秩序を守るためのものだ」というように、多すぎる規則は苦しむ人を増やしてしまう。秩序は人によって感じ方が違う部分があるだろう。誰かの考える秩序のために規制されてしまう場面が多いと、それぞれの個性が出せなくなってしまう。また、生き方に自由がなくなってしまう。規則は必要だと思うが、最低限でいいと私は考える。私は来年大学生になり、高校の校則という縛りからは解放される。日本で現在規定されている規則の中で個性の出し方を見つけることや、どうやったら規則が変えられるのか、法学部で学んでいきたい。