ある日、五つになる(感想文)

   小5 あかすな(akasuna)  2025年12月2日

 手紙というのは難しいものである。どこが難しいかというと、結局手紙にはあて名があるからだ。もっとも、あて名のない手紙もある。印刷された挨拶じょうや通知じょうの類がそれだ。私たちはこの砂をかむようなあて名のない手紙もずいぶんと読まされる。日記と手紙を一つ二つ拾って比べてみると、日記は自分以外の人には見せないたてまえで書かれているのに、手紙は相手に見せることがたてまえで書かれている。手紙の妙味の真骨頂は一対一で認められるところ見ある。それは、あて名があり、差出人があるというところだ。

 私は今年の九月に学校のみんなで楽しく移動教室に行った。そこでは、親がいなく友達と一緒にしっかりと生活ができているのかを知らせるために親に葉書きを書くことになった。その葉書きはすべて手書きで書いたものだった。私は移動教室の状況を知らせることができ良かったと思った。移動教室中には届けることはできなかったが、もし移動教室中に届いていたら、お母さんたちも安心して楽しく家庭の生活を送ることができていたと思う。母や姉はまるで、私の気持ちが分かっているかのような感じがしていただろうか。

また、手書きと印刷の違いで私なら手書きを選択するだろう。私が思い浮かべる理想の手紙や葉書きは丁寧で、間違えててもよいので気持ちが伝わってくるようなものがいいと思っている。私は今まででたくさんの手紙をもらったことがある。誕生日の時やお別れの時などラブレターの手紙だ。特にもらえてうれしかったのは転校してしまった子からもらったものだった。今その子が元気にしているのかがとても気になっている。

 母と姉にもらってうれしい手紙はどのようなものかを聞いてみることにした。二人とも同様で手書きを選択した。母は、一生懸命書いていて、きれいな字だそうだ。姉は、愛がこもっている手紙がいいらしい。

このような考えから私の家は毎年年賀状書くときに、印刷だけだと味気ないので、必ず印刷に加えて一言書いて送るようにしているのだ。なので、年賀状をもらった人は、印刷でもあるが、丁寧な字で書かれており気持ちが良いと思ってくれていたらうれしい。

 私は、、手紙には印刷にはないぬくもりや、書き手の思いが確かに宿るのだと感じている。どれほど上手な字であっても、あるいはどれほど立派な紙を使っていても、それだけで心が動くわけではない。

そして、「山は高きが故に貴からず」という言葉があるように、手紙の価値は外側ではなく、その中にこめられた気持ちによって決まるのだと思う。だからこそ私は、これからも相手を思い浮かべながら、自分の言葉で丁寧に手紙を書いていきたい。