言葉の温かさ

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 日本の一般的な書き言葉では、漢字の地位が絶対的に高く、それに比べてカタカナは限られた役割しか持っていない。漢字は抽象的で高度な概念を表すときに欠かせない文字として扱われる一方、カタカナは「ガチャガチャ」、「ドタバタ」など、できごとをそのまま音で表したような、いわば幼稚園文字である。しかし、カタカナが欧米の学芸や学芸人を書き表すときには、立場が逆転する。文化交流が一方通行のものからお互いに直接やり取りするものへ変わっていくと、言葉は紙の上の記号ではなく、音として生き始める。けれども、多くの人はその変化に気づかず、言葉そのものが持つ「愛情」や「温かさ」を理解しなくなってしまっている。私は、言葉に思いやりを込める生き方をしていきたい。

 まず、言葉に責任を持つことが大事だ。今、私は学校の授業で「多様性社会の実現」に向けたコミュニケーション学習アプリの制作に取り組んでいる。小中学生のSNS使用率は年々上昇しており、特に小学低学年のLINE利用率は6年前の1割から3割にまで増えた。だからこそ、SNSでも思いやりを持ってやり取りする力を育てる必要があると、私達は考えたのだ。しかし、そのアプリ作成はとても難しいものだった。特に、絵文字だけで会話するというプログラミングを作ろうとしていたとき、グループの空気が険悪だったことがある。みんな「自分ばかりが頑張っているのではないか」「あの人は本当に作業しているのか」と不安になり、全員で頑張ろうと言っていたのに、協力し会えなかった日があった。翌日、私達はお互いに反省し、全員で絶対に協力して完成させようと決めた。この経験から学んだのはどんな場面でもコミュニケーションを大切にすること、そして言うだけで終わらず、その言葉に責任を持つことの大切さだ。思いやりのある言葉は責任を持ってこそ、本物になるのだ。それはSNS上のやり取りでもそうだ。言葉は誤解を生みやすく、いい意味でも悪い意味でも人に影響を与えるため、扱うのが難しい。だからこそ「言葉をどう扱うか」を普段から認識する必要がある。

 次に、国同士の間でも、相手の言葉や文化を尊重することが大事だ。学校の公民の授業で、多文化共生という考え方を学んだ。多文化共生とは国籍や民族、文化の異なる人々がお互いの違いを認め合い尊重しながら、対等な関係を築き、地域社会の一員として共に生きていくことを目指すものだ。この多文化共生は国際的に重要視すべきものだと思う。実際、日本ではコミュニケーション支援として多言語化ややさしい日本語の活用が進められ、生活支援において日本語教室の実施など様々な取り組みが行われている。こうした努力は、違う背景を持つ人達がお互いに理解し合い、安心して交流できる環境につながっているのだと思う。

 確かに、文化や言葉の違いは、ときに誤解や対立を生む場合もある。しかし、それを理由に距離を置くのではなく、互いの言葉や背景を理解しようとする姿勢こそが、思いやりのある社会をつくる第一歩になるのだと思う。言葉には、人を傷つける力もあれば、人を支える力もある。だからこそ、私はこれからも、相手の立場に寄り添った言葉を選び、言葉に責任を持ちながら生きていきたい。多様な人々が共に生きる世界で、思いやりのあるコミュニケーションが広がっていけば、きっと「言葉の温かさ」が誰かの心を守り、言葉の大切さに気づくことができるはずだ。