とやさくさんの作文は、言葉に対する深い洞察と愛情が伝わってきます。
まず、言葉の役割や文化的背景についての説明がしっかりしており、カタカナと漢字の違いや言葉の音と文字の関係を明確に述べている点がとてもよいです。
また、言葉に愛を込める生き方を提案し、その具体的な方法を二つ挙げている構成もわかりやすく、説得力があります。
特に、相手の名前を覚えることの大切さを自分の体験を交えて説明しているところは、読者に親近感を与え、説得力を高めています。
さらに、手話やピクトグラム、やさしい日本語といった他者に寄り添う言語の紹介や、ヘレンケラーとサリバン先生の歴史的実例を用いている点も説得力があり、内容に深みを加えています。
最後に、「トランプが生きているのは、それが実際にプレーに使われているときである」という名言を引用し、言葉の使い方に愛情を込めることの重要性を強調しているのも効果的です。
全体を通して、論旨が一貫しており、具体例や名言をうまく活用しているため、説得力のある文章に仕上がっています。
内容 構成 題材 表現 主題 表記
字数/基準字数:1064字/1000字
思考点:67点
知識点:81点
表現点:79点
経験点:73点
総合点:80点
均衡点:5点
■思考語彙 16種 16個 (種類率100%) 67点
確か, 第,。しかし,。例えば,が一方,ことによって,そのため,その第,ならば,なるから,は考える,れると,使おう,良いかも,見えざる,言語に対して,
■知識語彙 63種 100個 (種類率63%) 81点
一致,万博,不可欠,中心,交流,人種,他者,代弁,代用,以前,会話,偉業,先生,先輩,入部,利用,印象,名前,名言,外国,大切,大阪,威信,媒体,学年,実例,幼稚園,役割,後輩,手話,抽象,文化,文字,方法,日本,日本人,日本語,普及,普段,最新,最近,最高,概念,欧米,歴史,比較,注目,漢字,理解,直接的,相互,相手,積極,立場,筆者,練習,翻訳,自分,表記,言葉,言語,記憶,部活,
■表現語彙 112種 199個 (種類率56%) 79点
確か,こと,ことば,そのため,それ,それら,たち,とき,もの,よう,アドバイス,カタカナ,ケラー,コミュニケーション,サリ,トランプ,バン,プレー,ヘレン,ワークショップ,一,一致,万博,下,不可欠,中,中心,二,交流,人,人々,人種,他,他者,代弁,代用,以前,会話,偉業,先生,先輩,入部,利用,前,印象,名前,名言,外国,多く,大切,大阪,威信,媒体,学年,実例,差,年,幼稚園,役割,後輩,思いやり,愛,手,手話,抽象,文化,文字,方法,日本,日本人,日本語,普及,普段,書き言葉,最新,最近,最高,概念,機,欧米,歴史,比較,注目,漢字,理解,生き方,的,目,直接的,相互,相手,私,稀,積極,立場,筆者,紙,練習,翻訳,耳,自分,表記,言葉,言語,記憶,話,身,部活,間,音,頃,顔,
■経験語彙 36種 59個 (種類率61%) 73点
おびる,しれる,せる,できる,は考える,もらう,られる,れる,会う,使う,使える,促す,入る,向ける,呼ぶ,始める,学ぶ,寄り添う,得る,憶える,持つ,挙げる,教える,書く,残す,比べる,生きる,用いる,縮める,聞こえる,行う,見える,見受ける,覚える,込める,過ごす,
■総合点 80点
■均衡点 5点
言葉に愛を込めて
高2 とやさく(toyasaku)
2025年12月1日
日本の書き言葉では、抽象的な概念の表記に不可欠な漢字とそれに比べて代用的な役割を持ち、幼稚園文字であるカタカナがある。ただ、カタカナは稀に欧米最新文化の言葉を代弁するほどの威信をおびることがある。文化の交流が一方的に紙で行われると言葉は中心となるが、相互的で直接的であると言葉は音となる。そして、筆者はことばには愛があるということへの理解を促している。私は、言葉に愛を込められるような生き方をしたい。
その第一の方法として、相手の名前を覚えるようにすることだ。相手の名前と顔が一致することによって、その人との会話がより良いものになるからである。以前部活に入って間もない頃、初めて最高学年の先輩に下の名前で呼んでもらってとても嬉しく、より練習に身が入ったことがある。それからは、私も後輩が入部したら積極的に名前を憶えている。そのため、名前と顔が一致していない程会って間もない頃と比較して練習中のアドバイスや何気ない会話がより濃く、印象的になっている。よって、積極的に名前を記憶することは大切である。
第二の方法として、他者の立場に寄り添う言語を普及させることだ。例えば、手話やピクトグラム、優しい日本語などは他者に寄り添う言語である。それらは、普段多くの日本人が利用する日本語だけではコミュニケーションが難しい人々に向けて使われる言語媒体である。特に最近、日本語を学び始めて間もない外国人に向けて、やさしい日本語を使おうというワークショップが5年前と比べて多く見受けられるようになり、ピクトグラムは言語や人種などの差を縮めるものとして2025年の大阪万博にも注目された。歴史的実例として、ヘレンケラーとサリバン先生の話が挙げられる。目も見えず耳も聞こえないヘレンケラーに、サリバン先生は手に文字を書くという言語媒体を教え、ヘレンケラーに愛を込めて寄り添った。この他者に寄り添う言語を得たことで、ヘレンケラーは偉業を残していくことができたのである。このように、他者に寄り添う言語を積極的に用いるようにしていきたい。
確かに、翻訳機などを利用して自分たちが使う言語だけで過ごしていくことができるならば、他の言語に対しても愛を込めなくても良いかもしれない。しかし、「トランプが生きているのは、それが実際にプレーに使われているときである」という名言があるように、実際にその言語が思いやりを持って使われているとき、本当に言語を使っているということになる。したがって、言葉に愛を込めて使えるようにしたいと私は考える。