他人と違うということ

   中3 あおちよ(aotiyo)  2025年12月2日

 今日本では国際化の必要性が語られている。金融やマーケティングなどに限らず、教育改革の議論においても国際化が出てくることが多い。しかしこの国際化は欧米ではではあまり語られておらず日本人が使うような意味での国際化という単語は存在しないのだが、それはすでに欧米諸国が国際化されていると同時に日本人が自分たちを閉鎖的な民族だと思っているからである。だが、その欧米諸国は本当に国際化を成し遂げているのだろうか。世界を見渡してみると、国際化されていない国はいくらでもある。例として中国やロシア、アフリカや中東地域などもあるし、アメリカや欧州だって完全に国際化されているわけではない。自分たちの生活こそが最高形式であり他国の文化などを学ぼうとしないアメリカや、キリスト教を欠いた文明は皆野蛮であると思っている西欧人に比べれば、自分たちを閉鎖的な民族だと意識し他国を学ぼうとする姿勢を持っている日本人のほうがよっぽどオープンで国際的なのではないか。もっとも、日本がやむを得ない国際化をしなければならないのは欧米諸国の主とされている倫理や文化、例として英語などに合わせなければ行かないからなのだが。

僕は堂々と自分の意見を持って生きていきたい。

まずひとつ目の方法として、人と違う意見を言うことを恐れないことだ。他人と違うことは全く悪いことではない。僕の学校の授業では先生が生徒に意見を聞いた時、まるで他人と違うことを言うのは悪いことであるかのように皆が同じ意見を言う。僕はこの日本人特有の同調圧力が嫌いだ。自分の本心を語れずに周りに合わせることで得することなんてあるのだろうか。なぜ日本人は他人と違うことを恐れるのだろう。それな日本人とは反対にアメリカ人はとてもオープンである。様々な人種が集まるアメリカだからこその形と言える。自分の意見はハッキリ言うし他人と違うことは個性的で良いことだという人もいるくらいだ。せっかくの人生なんだから遠慮せずに生きてみてはどうだろう。

2つ目の方法は、コミュニケーション能力を高めることだ。自分の意見を持っていてもそれをうまく伝えられなければ意味がない。わかりやすく論理的に伝えることができれば、理解してもらいやすかったり考えを広めることができる。コミュニケーション能力を高めるためには様々な人や意見と触れて、違いを感じることが大切だ。たとえば自分から積極的に友達に話しかけたりディスカッションなどでは「あなたはどう思う?」と聞いてみたり、自分の知識や見解の範囲を広げることで説明する力や理解する力が備えられる。

確かに日本では周りに合わせる生き方も一つの文化の形であり、大切なのかもしれない。しかし本文でも出てきたように今は多様化、国際化が進んでおり様々な人や考えと接しているためその中で自分の意見を持つことは重要なことである。「脱皮できないヘビは滅びる」という言葉もあるように新しい世の中だからこそ自分の考えを強化させる時だと思う。