人は二足歩行で
中1 あさくに(asakuni)
2025年12月1日
要約:人間は進化の過程で弱肉強食の意識が色褪せ、「死」=個を失う、または「無」の中に入ると解釈される傾向にある。だが、もともと「死ぬ」ということは一つの完成や一つの回帰であるということを忘れてはならない。野生動物は狩って狩られることが普通。生きることにはもちろん死ぬこともセットでやってくるものだ。なのであまり人間ほど死ぬことを重視はしていないと思われる。これは人間は野生の弱肉強食から自立しすぎて忘れてはならないところを忘れてしまったことを証明しているのではないか。なので我々ホモサピエンスはそのようなマインドセットを取り戻さなければならないのだ。
僕は人生に締め切りがあるからこそ充実した生活を送れると思う。まず最初に死があるからこそ、これから自分のやりたい事、その夢にどうやったらたどり着けるかを逆算することが可能になることだ。確かに振り返ってみれば短い人生。これらを確実に自分のものにするためにはやはり計画的努力が必須と私は断言する。昨年前人未到の50-50を達成し、日本人MLB選手が未だ見たことのない景色を見ている、大谷翔平選手で考えてみてはどうだ。彼は高校時代の時、「目標達成シート」またの別名、「マンダラチャート」を使って将来の夢とその手段を具体的に記していたのだ。実際死から逆算したかは本人でないとわからないが、短い野球人生を満喫し、自分のものにしようとして書いたのは確かで、私の理由にも共通することだ。さらに驚くべきことが、ここに書いてある多くのことが実際に実現しているということ。この現象は自分の夢を言葉にして発信していたからではないのか。他者に向かって話すことで、ある意味自分にいいプレッシャーをかけられているのだと思う。そして、スペシフィックなスケジュールも立ててあるので、そのプレッシャーを原動力にして努力すれば実現可能範囲内だろう。再度言うが、これらの可能性は死を意識し、計画を立てて初めて出現するポテンシャルなので、考えなければ時間と命の「持ち腐れ」なのだ。
二つ目の理由として、「死」を認識することにより、今日の自分を鼓舞することができると思う。この考え方は私が最近何よりも意識していることだ。私は毎朝朝早くに学校の準備をし、毎日同じ通学路を通る。学校でピッタリ7時間弱の時間を学びに費やすと、同じ下校ルートで帰る。このような「当たり前であり、通常」の日々を過ごしているとごく稀に自分の心に「空白」が生まれた感触を覚えるのだ。この「空白」は私の自論によると日々の当たり前に嫌気がさし、つまらないと思うからだと考察した。このような現象を心地悪く感じたので、私は「死」を意識し、毎日に価値を見出そうとするようになった。朝早く起きるのがつらいときや常に必死の日は、「人生最後は永眠できるから」と無理をし、「空白」に陥りそうになったら、「今日という日は世界で一回しかない」と思い、日々全力で生きている。Journal of Research in Personality に掲載された研究によると、やはり死を意識することによって前よりも良く生きようとする意欲が芽生えたという研究結果が出ている。
このように人生には「締め切り」という概念があるからこそ、理想の自分へのロードマップや今日の自分を鼓舞し、全力で生きることができる。この700万年の人類の軌跡で、あの日本を代表するアバンギャルドな芸術家、岡本太郎がこのような名言を残している。1981年の流行語大賞を受賞した「芸術は爆発だ」だ。この言葉には一言では言い表せられない様々な意味がこもっているが、その中の一つが「瞬間瞬間に無償に生命力を「爆発」させるのが生命」というものだ。これは私の二つ目に挙げた理由の「毎日の自分を鼓舞する」に共通する意味合いで、やはり人間は「死」の存在が必ずあるからこそ、無理をしてでも生きることを頑張らないといけないのだ。必ずゴールラインのある人生、あなたは間に何を詰め込み、頑張りたいですか。