社会、行列、民主主義??
中1 ジュンノスケ(akasiyu)
2025年12月2日
行列という形式は古代から存在していたが、モノやサービスを得るために順番を待つ行列は近代工業化社会に特有の現象である。駅の切符売場や食堂、トイレなど都市生活のあらゆる場面で行列は日常化している。行列は需要と供給の不均衡があるところで生じ、難民キャンプでは供給不足が、現代日本の飲食店では需要の高さが強調される。しかし、行列が成立するには身分や地位を問わず「先着優先」という平等の原則が必要であり、この仕組みは近代民主主義的な社会構造と深く結びついている。さらに行列は「用件を一つずつ処理する」という近代的事務処理の発想に根ざしており、柔軟な処理方式を持つ文化では定着しにくい。行列は正式に並ぶ前段階の「半行列」から始まり、列ができると待つ者同士の相互監視や礼儀が働き、待つこと自体が主要な行為となる。イギリスやアメリカでは行列は当然視されるが、工業化が遅れた社会では「羊の群れ」のように見えることもあり、行列という社会現象は工業化社会が近代民主主義の母胎であることを示している。
僕はこの文章を読んで、行列に賛成。行列があることで社会的秩序が保たれて、平等に納得して参加できると思った。その理由は二つある。
一つ目は、行列がないと混乱が生まれるからだ。
東京では行列を作ることは慣習になっており、日常的に行われる。電車が発車した直後から行列が作られる。しかし、ホームの整列位置に並んでいる人はほとんどいない。長文でいう半行列の状態だ。しかし、電車が来る時間が近づいて来た時一人でも並び始めた人がいるとすぐさま次々と人が並びだす。こうしてやってきた電車に乗るのである。行列がなければ順番に列車に乗り込めないか乗り込むのに時間がかかるだろう。我先に列車に乗り込もうとする人が増え混乱になる。そうなれば駅に入線するだけで列車は遅延が確定することになる。これはよくないと思う。
二つ目の理由は、行列があることで社会がスムーズに回るからだ。
行に列は社会の秩序や公平さを保つ役割をもっている。
社会心理学の研究によると、先着順で順番がはっきりしている場合、人は待ち時間が長くても不満を感じにくいことが分かっている。順番が明確であることで、「自分だけが損をしている」という感情が生まれにくくなるからだ。
長文で述べられているように、身分や地位に関係なく順番が守られる行列は、近代社会における平等主義を象徴している。行列は単なる待ち時間ではなく、人々が安心して社会に参加するための仕組みだといえ、社会を円滑に動かすための前提でもあると考えられるのだ。
確かに、行列は待つ必要があり個人の事情を考慮しないことには問題がある。けれども、行列が近代社会の秩序を支える行動様式であるならば、それは私たちの生き方とも無関係ではないはずだ。「民主主義とは、違いをもった人々が同じルールのもとで共に生きることである。」という名言もあるように、問題点はあるがそれぞれ違う人々が同じルールの中で共に暮らすためならば少しは妥協できるのではないだろうか。私たちは待ち時間のある行列がどのような位置付けであるべきなのだろうか。なくてはならないけれど時間が無駄になっているように感じる行列。そこには、民主主義という大きな土台が隠されているのかもしれない。