返事の仕方

   中2 あおらえ(aorae)  2025年12月2日

  一般に欧米人は、否定する際に強い口調で答える。その一方で、日本人は、「いいえ」をやや控えめにいう習慣がある。肯定と違い、否定では、無意識に声を落としてしまう。日本語と英語とでの、否定の質問に対する答えが逆になるように、英語では事実をみて否定するのに対し、日本語では話し手の立場に合わせて返事をする。よって英語では、事実を事実として否定することが相手の尊重にもつながるが、日本語では考え方や感じ方の批判に及ぶ可能性がある。そのため、否定が限定されることを控えめな態度によって示唆している。調子や表情を総合的に判断することが大切だ。返事は、困惑を表すため息のようなものと受け止めるべきであるかもしれない。

 質問されたときに、はっきりと肯定もしくは否定をし、自らの立場を明確にしておくことは重要だ。曖昧な態度をとることによって、相手の誤解を招く可能性もある。校外学習で鎌倉へ行った際に、私たちは班別行動をした。その班でレポートを作る必要があったのだが、そのレポートの数ページを私は担当した。そのときに、ほかの部分を担当している人に、文章は敬体で書くのか、と聞かれた。しかし、私も自信をもって返事をできなかったので、曖昧に返事をしておくことで済ませた。後日レポートの実施要項を見てみたところ、レポートは常態で、と書かれている。締め切りがまだであったので大変なことにならなかったが、ほかの人に聞いていればよかったと思っている。

 しかし、時にはっきりとした否定は相手を傷つけることもある。相手に配慮して、思いやりの気持ちを持ち、暗に示すことも大切だ。そうすれば、相手も気遣っていると分かるだろう。日本には浦島太郎という御伽話がある。少年達にいじめられていたウミガメを助けた漁師の浦島太郎は竜宮城に連れて行ってもらう。そこであった乙女たちと共に過ごす間、陸に戻りたいと思いながら、なかなか気遣って言い出せなかった。そうこうしているうちに、長い時間を過ごしてしまうことになってしまったのだ。浦島太郎が陸へ上がった時には風景がだいぶ変わったとの記述があるが、なかなか戻りたいと言い出せなかったのも理由の一つであろう。しかし、それのおかげで乙女は不愉快な思いをせずに済んだ、という側面もある。

 質問されたときに、はっきりと否定することが良い時もあるし、或いは相手に配慮して示唆するにとどまるだけのほうが良い時もある。それは、相手によっても変わるが、時と場合によっても変わるはずだ。しかし、「他人が笑おうが笑わまいが、自分の歌を歌えばいい」と岡本太郎は言った。相手の質問に対する返事の方法や形式を気にするよりも、自分の意図や考えをはっきりと持ち、的確に伝えられるようにすることが重要だ。そもそも、自分のはっきりとした意見という目的を持ち合わせてなければ、返事という方法をいくら検討したところで意味はそれほどないと思う。自分のはっきりとした、明瞭な意見を持つことで、相手にも多少は伝わるし、誤解も生みにくいはずである。