手書きの良さ
小5 わかば(akahime)
2025年12月2日
ところで、考えてみると、手紙というものは、そう優しいものではない。年賀状の余白に万年筆でほんの一行「灘から例のが届いている。待っている」と書き添えたとしよう。この腑抜けなはがきがたちまちにして生き生きと血が通いだすのが分かるだろう。つまりはこの一行で、あて名が書かれたからのことだ。しかし、受け取る側からすればあて名のない、誰に出しているかわからない手紙などは一向にありがたくないのだ。
私は最近いとこたちから手紙をもらった。そのいとこの一人は私より二つ下の三年生で、その手紙には私と、私の飼っているウサギの絵が描いてあった。私はわざわざいとこが手紙を書いてきてくれたことを嬉しく思った。その要因の一つは、絵が描いてあったからだと思われる。いとこが頑張って書いてくれたことが伝わって来るのだ。また、私より一つ上の六年生のいとこからも手紙をもらった。そこには日常的にびっくりしたことが書いてあり、読んでいる私さえもそれに引き込まれ、笑ったり驚いたりした。やはりそれは手書きなことにあると思う。絵でその様子を表現したり、独自のフォントや絵文字を使うことで相手が感情移入しやすくなる。これらの利点は、全てインターネットの世界にはないものだ。インターネットは気軽に投稿や、メールができてしまうため、なかなか短い文章になりやすい。例えば『それな』とか、『分かる―』とかの言葉をメールで返されたことがある。それが悪いわけではないが、自分が話していることを軽々しく受け止められたり、何も感じていないのではないかとついつい疑ってしまう。しかし手紙となると、マーカーを使って強調させたり、相手が読みやすいようにしたり、たくさんの工夫ができる。だから、手紙の方が自分の個性や性格が出るから、読み手に取って受け取りやすい。また、私が友達に手紙を書いた時、私は何を書こうか、どの便せんを使うかたくさん思考を巡らせた。それは苦痛ではないが、メールを打つときは決してしない。やはり、メールより手書きの方が相手のことを考えてあると感じる。
私の母は去年、年賀状に一つ一つコメントを入れていた。コピーすればそれで終わるのだが、母はコピーしたお年賀にさらに「今年もよろしくお願いいたします。」や、「また遊びに行こうね」などと書き込んでいる。それを見た私は、なんでこんな面倒くさいことをするのか気になり、尋ねてみると母はこう教えてくれた。
「印刷した定型文だと、気持ちが直接伝わらないからね」
それを聞いた私は、確かにその通りだと思い、納得した。大変だけど、書くことで赤の他人という雰囲気もなくなるし、受け取りてとしても読んでいて楽しくなる。そして、はっきりと自分に向けて出されていることが分かるから、嬉しくなる。私も自分で書いた文字を送りたい。
字は人となりということわざがあるように、インターネット上で打った感情のこもっていないようにみえる字より、人が試行錯誤しながら書いた字の方が、その人の性格や言いたいことがストレートに伝わるということが分かった。