域を超える
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人間以外の動物は普通、本能の赴くままに行動するとき、そこに迷いや不安はない。それに対して人間は、混沌と化した世界に対して、文化という装置を造り出すことによって、再び秩序を取り戻してきたのである。このような社会制度化された文化が成立すると、文化そのものが第二の自然として人間の行動を規制してくることになる。したがって、文化はもともと自然と対立する概念だが、人間は文化の枠内でしか行動しえないものであってみれば、文化=自然という関係が成立してくるとさえ言える。そのため、文化は秩序からはみ出してくる部分を、消極的には見えないもの、積極的にはタブーとして抑圧する必要があるのだ。
自分の考える世界の域にとらわれず、ものごとを見るべきだ。
第一の方法は、相手を知ることを大切にすることだ。僕の学校には校則がない。だから、いろいろな格好の人がいる。いろいろな種類のピアスをしている子、髪を金や赤に染めている子、パーマをかけている子など様々だ。僕はその中で半年一緒に過ごしたわけだから、その状況に慣れており、みんな優しいこともわかっているから今は何とも思っていない。しかし、9月頃にあった生徒企画のオープンスクールで、ふと、もしかして弦楽に来ている中3生からすると、めちゃくちゃ怖いのではないかと思った。たしかに、見た目はとてもガラが悪く、絡まれそうな感じだ。本当は優しい人たちを、外見のせいで悪く思ってほしくない、という気持ちもあり、外見だけで判断してほしくないなという気持ちもわいた。難しいが、やはり相手を知ろうとする気持ちと、時間が必要だと思った。
第二の方法は、寛容な心であろうとすることを大切にすることだ。細川ガラシャという歴史上の人物がいる。明智光秀の娘であり、細川忠興の妻だ。関係は良好だったそうだが、明智光秀が織田信長を討ったことにより、ガラシャは謀反人の娘となり、忠興は妻を山奥に幽閉した。そこに二年間おり、その後秀吉の許しを得、城に戻された。しかしそこでも閉じ込められた生活をしており、苦しい日々だったという。キリスト教に出会ったのはその生活の中だったそうだ。ガラシャは洗礼名で、その前は玉だ。秀吉の死後、石田三成と徳川家康の間で対立が起こり、三成はガラシャを人質に獲ろうとした。その際に、ガラシャは城に火をつけ自害した。火をつける前、家臣や女中には逃げるように命じ、自分だけ自害したそうだ。当時、家臣や使用人を逃がすことは珍しく、そこからガラシャの人情が読み取れる。自分が苦しい状況におかれていてもなお、人を助けようとする心、そしてその時代の風潮や決まりにとらわれない強い心が伝わってきた。聖書に、「剣を取るものは剣によって滅びる」という名言があるが、ガラシャは死を取って、情を残し続けた人物だと思う。
たしかに、自分のみている景色をもっと深めていくことも大切だ。しかし、ものごとを深めることとは、それのみに集中してできうるものではなく、世界を広げてこそみえるもののはずだ。だから、自分の考える世界の域にとらわれず、ものごとを見るべきだ。